私が連載をしているホテルマガジン、明日公開されます。5月31日広島で開催された佐村河内守さんのレクエイム・ヒロシマの音源と彼のメッセージが流れます。あの時行かれなかった方々へぜひ聴いてください。佐村河内守さんが心を込めて語ったメッセージ、核廃絶、平和を願う気持ちが私達取材する側に伝わり、最後の数分は涙、涙でした。この音源も彼のメッセージも主催者に許可されての公開です。
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私が連載をしているホテルマガジン、明日公開されます。5月31日広島で開催された佐村河内守さんのレクエイム・ヒロシマの音源と彼のメッセージが流れます。あの時行かれなかった方々へぜひ聴いてください。佐村河内守さんが心を込めて語ったメッセージ、核廃絶、平和を願う気持ちが私達取材する側に伝わり、最後の数分は涙、涙でした。この音源も彼のメッセージも主催者に許可されての公開です。
マイケル・ジャクソンさんが亡くなった。まだ50歳だったそうだ。私はクラッシックに特化してコンサートへ行っていたが、とても不思議なチケットの取り方をして横浜球場で行われたマイケルのコンサートへ行ったことがある。今から20数年前、有楽町の銀行へ行った時、彼のコンサートのチケットを求めて前日、前々日から寝袋で待ち構えている人の波に飲まれて、気がついた時はチケット4枚の引換券を手にしていた。ラッキーなのか、よく分からないまま定価でゲットした。誰かが倍の値段を出すから譲ってよ、と言われたのにせっかくなので、母と妹、娘と4人で横浜球場へ足を運んだ。今でも忘れられないシーンはマイケルがゴンドラやクレーンに吊るされて、出てきたこと。周りは総立ち、私達年寄りだけ呆然と座っていました。あのようなコンサートは始めてだったので、大変なカルチャーショックだった。その後スティービー・ワンダーさんのコンサートも全員立って体をくねらせて拝聴するのだと・・・マイケルが亡くなって思い出していました。NYを案内するのに125丁目のアポロ・シアターで「マイケル・ジャクソンが出ていたところです」というとみんさん写真を撮られていました。才能のある方は何だか早死にですね。何故あそこまで整形や肌の白さにこだわったのでしょうか。ジャネット・ジャクソンにNYでお会いしたことがありますが、可愛かったです。前にも書いたことがありますが、ジャネットが私達が食べていた釜揚げうどんに興味を持って「何てオーダーしたらそのヌードルが出てくるの?」と隣の席で聞かれて、頼んであげました。ミッド・タウンの日本食レストランでの話しです。
普段たった一人で夕飯をたべている侘びしい生活、せっかくタジン鍋を買ってきても台所のディスプレーになっていた。昨日から娘が帰ってきているので、よぉし、今日はこの鍋を使って料理をしよう、と張り切ってチキンの丸ごとを前日から塩をして首、と足先を切ってもらった(それでもグロテスク)ものを真ん中にジャガイモ、玉ねぎ、人参、パプリカ、隠元、かぼちゃ、とうもろこしを入れ、オリーブ油を少しまぶして1時間半蓋をして180度のオーブンに入れました。上出来で私は満足でしたが、娘はたった2人でこの料理は変よ、と言いましたが、めげずにバケットもオーブンで温めて、美味しかったですよ。ただ、2人ではたべきれませんでした。水を加えない料理ですが、チキンと野菜から美味しい出汁がでて、それは、それは野菜の美味しいこと。特にかぼちゃは美味しいです。余ったチキンは丁寧に身をほぐし、明日カレーを作りましょう。ゴールド・コーストでも次の日はこの出汁でカレーでした。「ママ、こういう鍋は広いアメリカの台所でこそ映えるのよ、こんな小さな台所で何処に置いてるの?」と呆れられました。
83歳になる母方の叔母が老衰で死に掛かっている。7歳年上の私の母が、生きているうちにもう一度会いたい、私に一緒に行って欲しいと言われ昨日重い腰を上げて見舞いに行ってきた。太平洋戦争が青春時代だった叔母・・・若いときはそれは、それは可愛かったらしい、憧れる男性を振り切って見合い結婚をし、その後不幸を絵に描いたような人生を送った人。ただ、若いとき家にいた書生(今では死語)が好きで初恋だった!!その後その人は牧師に成り、今でも生きていて、叔母を定期的に見舞っているらしい。私が「おばちゃま、・・先生叔母ちゃまの初恋の人だったの?」と耳元で声を掛けると嬉しそうに頷いていました。当時牧師になるという人との恋愛は許されなかったのでしょうか。それでも死の淵にある叔母がその人の話をすると反応するのが羨ましい。この叔母は横浜の馬車道にある指路教会で長いことオルガニストをしていたし、あの時代の人にしてはハモンド・オルガンもピアノも弾いていた。もう一度ピアノを弾きたいと言ったとか。横浜のモナリザと言われた叔母が今思うことは若かった頃だろうか。それとも亡くなった母親を思うのか。7歳も年上の私の母には、弟、妹が残っているが、普通の生活が出来るのは私の母だけになってしまった。あの時代に秘かに書生を好きなのに、他の人と見合いで結婚したのですねぇ。身分の違いなんて今では言いませんが、だから昔から小説が成り立つのです。叔母が亡くなったら、初恋の牧師さんが司式をする・・・これも小説になります。ただ、数年前にもう一人の叔母が亡くなった時、その牧師さんは叔母の葬儀におばぁちゃまとごっちゃになってしまい、厳粛な葬儀に私達は笑いを堪えるのに苦労しました。子供の頃は付き合っていた従姉妹たちとも大人になって疎遠になっていましたが、こうして叔母の見舞いで再会し、とてもステキな歳のとり方をしているのを発見し嬉しい。死の床で会いたい人・・・一人と言われたら困ってしまう、考えておきましょう。最後のご飯は卵かけご飯を食べたいと決めていますが、好きだった人となると絞りきれません。
今日のBBTの放送で大前がロシアの火山の報道をしていた。日本のニュースでは取上げていなかったが、先週娘がNYから帰国していて、成田空港からニューアークへフライトするはずが、航空機が来ないので欠航になったからお宅へ泊まっていい?と電話があった。勿論あなたの家なのだからいらっしゃい、と言ってネットで調べたが、噴火のニュースは見つからなかった。上空なんて多少噴火していても広いので何処を通過しても良いのでは?というのは素人の考えでした。次の日も夜9時過ぎに出発したらしいが、コンチネンタル航空はダイレクトに成田ではなく、LA経由だったり、ヒューストン経由になっていた。素人は空の上は広いから多少火山が爆発していてもそこを避ければいいじゃない、なんて思ってしまう。地球は丸い、アメリカからのフライトはカムチャッカ半島、千島列島、次にロシアと日本で問題になっている択捉、国後と続くのです。アッツ火山て地図によると日付け変更線の辺りにありました。
今週の週刊新潮の巻末に「今週の御題美空ひばり」の漫画が載っていた。今年没後20年にあたるそうだ。私は生の美空ひばりさんを何度も見ているが、私がお会いした時の美空ひばりさんはいち父兄としての彼女だった。娘が6年生の時彼女の息子が1年生に入学してきた。父兄会や運動会には積極的に参加されていた。松涛に住んでいた彼女は何度か小田急線で父母会に出席する姿を拝見し、普通のおかぁさんを一生懸命していたのです。玉川学園の父兄はいったいに派手方が多かったが、美空ひばりさんは地味な格好をして意図して普通のおかぁさんをしていらした。運動会でテントが張られた貴賓席にも行かず、地べたに敷物を敷いて始まりから終わりまで熱心に声援をしていた姿に感動したことを思い出す。没後20年ということはかれこれ30年ほど前になるのでしょうか。今彼女の歌を聞くと、歌謡曲を通り過ぎて、古典の域に達しているのを感じてしまう。このような気持ちになる歌手はもう一人エルビス・プレスリーがそうなのかも。いつの時代にも天才はいるのですね。少し違うがラジオ・シティーホールでNY最後のステージになってしまったフランク・シナトラの公演を聴いたのが一番の思い出かなぁ。ニューヨーク・ニューヨークを謳いあげた彼は次の日から残る1週間をキャンセルし、その後ラスベガスでは公演をされたと聞いたが、あの感動は生涯忘れられない。フランク・シナトラはステージでもタバコを吸っていて、聴衆から「ノン・スモーキング!」とやじられていたが何となくアタタカイ野次だった。
平成8年から開催されている御大江頭会長の快気祝いに伺った。江頭さんは大前が13年前に政治団体「平成維新の会」を立ち上げて、都知事選に立候補した時選挙事務所長になってくださった方。あれから一期青島知事、3期目の石原知事と時は過ぎていったが、果たして政治はよくなったのでしょうか?国政はみなさん感じている通り、代わり映えしない芝居が続いていますが、都政は余り見えませんねぇ。石原知事が東京オリンピック招致で目立つくらい、ましてや区政なんて感心もありません。今年は都議会議員選挙らしいですが、誰が出ているのか。今日の江頭さんは事務所開きの時も迫力がありました。結果は残念でしたが、私はもう身内が選挙に出るのは真っ平ごめんです。あの時は一家の生活がめちゃめちゃになってしまいました。丁度桜が咲くころ、私はそのでいで桜が嫌いになりました。
写真のお鍋、今はやりのタジン鍋です。モロッコ料理用です。お正月にゴールド・コーストでこのタジン鍋料理を作ってすっかりはまってしまった。今回は卒業式に出席の為に行ったので、買い物をするつもりはなかった。ただ、この鍋東京では値段を調べてあるので、4割引に引かれて買ってしまった。スーツ・ケースに入ったので、預ける積もりでパッキングした。ところが、空港でスーツ・ケースの超過料金を要求されて、思わず手荷物にします、とほほ・・・状態で持ち帰った。普段NYから帰る時、娘の会社の航空会社に乗るので、多少の超過は目を瞑ってくれる。その癖が付いていて、どうも荷物が多すぎる。「ママ、東京で売っているものを何で外国で買うのよ」と顰蹙ものなのですが、こういう台所用品大好き。
お正月にタジン鍋を作って美味しかったので、作り方を少しご紹介します。この鍋は熱が輪を描く様に均一に通るので、何を作っても美味しい。
丸ごとのチキン一羽を前日からいい塩を満遍なく塗りこむ。お腹に香料の野菜を詰め込み真ん中に置く。その後回りに残り物のジャガイモ、玉ねぎ、かぼちゃ、蕪、人参など、なんでも良い。オーブンに入れて180度の熱でじっくりと蒸し焼きにする。じわじわと味が浸みて得も言えない美味しい料理が出来上がります。チキン、魚、牛、豚何でもよろし。肉から出た味が野菜に浸みこみ、とても美味しかったです。
地球って丸い。毎年お正月にゴールド・コーストへ行っているが、今の季節に行ったのは初めて。これから冬になる気分に浸れなかったが、南半球の冬が終わり春を待つのは(日本の秋)ジャカランタの花らしい。以前にゴールド・コーストに住んでいたご夫妻は帰国後も日本人が桜を見に行くが如くわざわざジャカランタの花を見に行くと言う話を聞いたことがある。このジャカランタの花は南半球にしか咲かないのか、定かではないが。紫色の美しい花だそうだ。以前にNYからハワイまでフライトしたことがあるが、このコースは二度と飛びたくない。地球は丸いを実感する最たるものだ。地球の一番太いところを飛ぶので、何時間飛んでもアメリカの領土だ。LAを過ぎるといい加減飽きた頃、やっと太平洋に出る。こんな大きな国と戦争を仕掛けた日本も相当なものだ。勝つわけないなぁ、と呟きながらやっと太平洋に浮かぶハワイへ着く。此処が「とらとらとら」の真珠湾攻撃の舞台だ。ジェット・スター航空が格安のチケットをだしているので、次はジャカランタの花を見にいこう。京都へ行くより安いかも。
ゴールド・コーストのイタリアンではぴか一のレストランマリナ・ミラージュにあるフェリーニに行った時のこと。此処は島になっていて、シーワールドまで行くと行き止まりになる。つまり、袋のねずみ状態の場所で5時ごろ飲酒運転の取り締まりに出会った。5時と言う時間に呑んでいる人はまだいないのでは?その後、フェリーニで食事をし、私はビールを一本呑んだのだが、(普段呑まない私も美味しいものを食べる時はビール一本が楽しみ)行きに取り締まりがあったので油断していた。何と帰りも同じ場所の反対側で引っかかってしまった。白い10センチほどのプラスチックの棒をビニールから出して、吹くように言われた。ビールが頭に中でぐるぐる回って「あぁぁ、やっぱり呑まなきりゃよかった」と後悔しながら、あきらめもあり、思いっきり吹いて、その間胸はドキドキ、頭は真っ白、後部座席の男性二人も隣にいた女性もシーンとして見守っていた。ポリスが検査結果を見て「ビューティフル」と一言、「さぁ、行っていいよ」と言われた時はほっとして脱力してしまった。その後何故OKが出たのか考えると「正直にビール一杯飲んだ」と申告したからなのでしょう。アメリカもそうだけど入国の時の持込も正直に申告してあればたいていの食料も持ち込めることを知った私の知恵?だった。次の日研一に会った時、「ねぇ、ビューティフルて言われたけど、あのようなシーンで使う言葉かしら?」と聞いたら「使わないよ」と。私もずうずうしいから、「じゃぁ、顔がビューティフルだったのかしら」といったらバカにされた。ビューティフルの意味は余りなかったようだが、多分正直な申告を誉められたのと私は解釈したのですが、ゆめゆめアルコールを飲んでの運転はいけません。
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