未曾有の被害がもたらされた今回の地震、その後の津波、原子力発電所の放射性物質の漏れなど、次々に起きているが、いったいこの国は今後どうするのか?菅総理がステートメントを発表したが、いずれにしても何とか復興をせねばなりません。私は1941年太平洋戦争が始まった年に生まれ、それも開戦2日前という日でした。終戦が4歳でした。銃後の母と研一と3人で山口県の山奥に疎開していました。父と対馬に行った時は朝鮮戦争のころで、対馬で銃声を聞いた覚えがあります。その後NYに商社員の妻として赴任した時アメリカはベトナム戦争をしていました。それもアメリカが負けかけていた時で、NYも荒んでいました。その後2度目のNYに住んだとき、湾岸戦争が始まりました。
ただ、かの国はグリーンカードで住まわせて頂いた場所でした。帰国して阪神淡路大震災がおき、ちょうど大前が都知事選に立候補した年でした。忘れもしない青島知事が誕生しました。その結果は皆様が感じている通りです。その後私にとって大きな事件は911のワールド・トレイディングセンターのあのクラッシュです。あの時はもうNYは絶対に復興なんて出来ないと感じました。私は事故後10日目にNYへいきましたが、それはそれはものすごい現場でした。昨年もワートレの跡地へいきましたが、立派に復興をしつつありました。
そして、昨日起きた東北の地震です。私は自宅にいて、建物があそこまで揺れるなんて想像もしていませんでした。地震なんて来ないとなめきっていたのですよね。日本中が・・・前から東海地震がある、有ると言いながら何十年、周りはガラスのビルばかり。昨日の揺れは半端じゃなかったです。こんな時どこへ逃げたらいいのですか?ここの地区は皇居だそうです。皇居までたどり着けないでしょうね。その前に東京フォーラムがあります。あのビルは全面ガラスです。
今日電車が動き出したので、母のことが心配で白楽に行きました。その折、一度読んだ中島薫さんの「運に愛される人」をもう一度読み直そうと電車で読み直しました。この本はバイブルのように読み返す本だと感じていました。こんな有事の際本当に身にしみることが書いてありました。
リセットするのパートで「牛乳を飲んだままのコップでビールを飲む人はいない」のところで・・・中島さんが書いています。”私が好きで使っているヘレンドのコーヒーカップがあります。これがもし床に落ちて粉々に割れたとしたら、私はどうするかをちょっと考えてみます。たぶん、まず「ぎゃー!」と叫ぶかもしれません。でも、叫び続けたりはしないと思います。叫んだ瞬間、もう私の中では「カップが割れた」で処理されてしまいます。勿論ショックではあるのですが、そこで嘆いたりわめいたりしていても、割れたカップが元に戻るわけではありません。割れたカップを見て「割れましたね」と言う判断を下して、あとはさっさと片付けます。”と書いてありました。
そうです、私も中島薫さんの本をじっくり読むと、そうよ、そうだわ、と納得しているのですが、人間が出来ていないから、あんなにたくさんの犠牲者が出ているのに、ガレーのランプをまだ惜しいなぁ、とかもったいなかったと思ってしまう私がいます。気持ちをリセットして・・・あのガレーのランプは忘れもしないNYが911の事件の時、少しでもNYに元気になってもらいたいと、マンハッタンの骨董屋で買い求めたものでした。今でもその値引き法やその時の店のおじさんの顔まで覚えています。もう、こんな事件が起きるNYに見切りをつけて近々アメリカの田舎に引っ込むと言っていたっけ。10年楽しんだのだから良しとしよう。あの優しい光のランプの下で本が読めないのは淋しいなぁ、とまだ考えてしまう私がいます。あれだけ揺た地震で私の部屋は最小限の被害だと思います。テレビの画面は凄すぎて胸が痛みます。
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