今回もまた渡辺淳一さんのエッセイから。天気予報のたびに桜の開花情報が細かく流されていて、一つの花の動向がこれほど頻繁に報道されるとは、まさに「さくらサマ」のお通りと言った感じ、と書いておられる。確かに、その清々しさは見事だが、戦争中はその散りぎわの鮮やかさから、死の美学をたたえるのに使われ、多くの若者が死に急いだ悲劇も忘れるべきではないと書いている。いずれにせよ、東京では小うるさい桜も、あと1週間で終わる。「お花見した?」と聞かれることが多い今日この頃だが、昨年よりもっと桜が嫌いになった。「よるとしや桜のさくもこうるさき(一茶)」と言った心境は同感。
今日は3週間ぶりに白楽に馳せ参じた。やはり週末は老いた母と化石化している妹と過ごすのが私には合っている。銭湯で3週間の垢を落としてきた。明日の鈴木かつ子さんの講演に臨みたい。
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