1968年商社の駐在員家族としてNYに滞在していた時のこと、このポール・モーリァの”恋は水色”がはやった。ラジオをつけてもテレビを見ても演奏されていた。私は何とかレコードを欲しいと思って、研一がボストンからNYに来た時に、ハミングしてなんて言う曲なの?と聞いたら彼は”キャラバン”だと教えてくれた。ニュー・ロッシェルのデパート・メイシーズに行って”キヤラバン”という曲を欲しい旨英語で頼んだのだが、当時まだ滞在1年弱、店の人は判らない、何人か呼んで来るからここで歌ってごらん、なんて言われてレコードが欲しいばかりに恥ずかしいとも思わずハミングをしたのだ。店員たちは「あぁ、それはLove is Blue だ!!!」と一件落着となったのだが、研一に嘘を教えられて、未だに忘れられない恥ずかしい思い出だ。ポール・モーリァさんは20回以上日本に来ていたそうだが、世界で500万枚売れたメガヒット曲だ。青春の思い出として、ニュー・ロッシェルでの事も彼の死で思い出してしまった。彼はフランス人だが、日本人が好きな短音階の曲が多いのが特徴で、ファンも多かったのだろう。ご冥福を祈る。ちなみに当時はCDではなくレコードだった。まさかレコードが消滅してしまうなんて考えてもいなかった。
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