先週号の週刊新潮「あとの祭り」から死亡欄あれこれを読んで大笑いした。彼の記述によると死亡欄で気になるのが、死因についてである。「呼吸不全で亡くなった」と記されているが、人間亡くなる時はみな呼吸不全になるからで、呼吸がスムーズに出来なくなって死ぬのは当然でごく当たりまえだ。これと似たのが「心不全」と言う記述。これも死ぬ時はみな心臓が動かなくなり、不全状態に陥って死亡する。これは死因というのではなく、死ぬ直前の状態をさしているにすぎない。それより死因に「肺癌で・・・」とか「脳血栓で肺炎を併発して・・・」などと書かれていると、その人の晩年について思いをはせることが出来る。正しい病名があるほうが、故人への思いや愛着が強まるのでは・・・と書いてあった。私も新聞の死亡欄を見るのが好き?だが、冬はお年寄りが死ぬケースが多いが夏は結構若い人が死ぬが、気候と死因は因果関係があるのだろうか?渡辺淳一さんは今更穏やかな死を願うのは図々しいかもしれない。ならばいっそう情死とか心中というのはどうだろうか。「0月0日、00子さまと心中いたしました」こんな死亡広告を堂々と出せたら、恰好いい、でもそれには、少し長生きしすぎたかも、と。
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