新聞によると「呼吸不全」で亡くなった、とあったが、勿論呼吸が止まったのが老衰だと誰もが納得する103歳だった。私は度々大野一雄先生のことをこのブログで書いているので、ご存知の方もあるかと思います。今日数えてみました。私が大野先生に習い始めた頃、先生はまだ40歳代だったのだ。始めてお会いした時からお爺さん風でしたから、数年前に舞台で拝見した「百花繚乱」の時と習っていたころと余り違わないのでは?という錯覚を起こしてしまった。先生の踊りは分かりにくいかもしれない。見る者の心を映し出す踊りだと評価されているが、いわゆるNYのマーサ・グラハム系の創作舞踊です。私が中学、高校のころ、土曜日に先生に習いに行っていたころは弟子は私一人でした。先生が太鼓をたたいて、花、霞、天、雨、・・・・と題をだされそれを表現する。先生の後を継がれた二男の慶人さんもまだ学生だった。たぶんあの頃は親の後を継ぐなんて考えていなかったのでは?こういう才能はいくら息子といえどそう簡単に継げるものではないですから。それから慶人さんが関東学院の大学生?(たぶん)父親と始めて踊ることになった。先生と慶人さんと私は舞台でキリストの誕生を踊りました。クラッシックバレエを習っていた私は大野先生のバレエの衣装に戸惑った。布を巻き付けただけの衣装でした。その日のことはとてもよく覚えています。その後私がNYに移り住んでいたころ、ニューヨークでは有名なマーサ・ブラハムさんが亡くなられて、その追悼を覚えてNYの舞台に出演されました。私は弟子として先生をアテンドし、お食事をご一緒し、舞台を拝見しました。その時忘れもしない、私の前の席に今は亡きジャックリーヌ・ケネディーがお座りになっていました。インターミッションの時ロビーでしっかり拝見し、なんて美しい人なのだろう・・・とため息をついたのがこの思い出も大野先生が亡くなられて懐かしい。大野先生はとても人格者でした。私が尊敬する方の一人ですが、亡くなられて何だかとても寂しいです。
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