胆管癌で入退院を繰り返していた父が亡くなったのが 25年前の今日バレンタイン・ディでした。今日白楽へ行ったので久しぶりに奥の部屋に飾ってある父の写真の前に立ってきました。我が家の冠婚葬祭はキリスト教で執り行われるとこが多いが、父は何の宗教も持っていなかったので、無宗教で葬儀をした。25年前の今日は物凄く寒い日だった。電通の友達が葬儀を手伝ってくれて、その当時出始めたばかりの「ホカロン」を玄関先で配っていたのが印象的で、さすが電通!と感心したのを思い出した。今のようにホカロンもスマートではなく、何となく無粋な代物でしたが、それにしても寒い葬儀でした。それに比べて今日の暖かかった事。丁度大学の入学試験が多い時期、父の田舎対馬や長崎から葬儀にきてくれて、ホテルが取りにくかったのも思い出す。田舎の人達はレクエイムで音楽葬をさぞ戸惑ったことだったでしょうね。父は何を聴いても同じ曲に聞こえるというほど音楽には遠い人でしたから。母が音楽好き、勿論死んでいるので言えないが、有無を言わせず母は強かった。
写真は歌舞伎座の全景です。近く取り壊しが決まったそうで、この頃この辺を通ると写生をしている人たちを多く見ます。私が「日和」を開業していたのがこの歌舞伎座の横の通り、木挽町でしたので、ここが取り壊されて近代建築になってしまうのは、何とも淋しい気がします。歌舞伎座の大道具の人達の入り口近くだったので、盆暮れにはお酒をお届けしていたのです。時には裏口から舞台をみせてもらったり・・・思い出は尽きません。
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