作家の五木寛之さんは人生を4つに分けた思想を書いていらっしゃる。「学生期(がくしょうき)生きるすべてを学び、体を鍛え、来るべき社会生活のために修業を積む時期。「家住期」は大人になって職業につき、結婚をして、一家を作る。「林住期」は会社をリタイアし、己の人生をじっくり振り返る時期であると。それから75歳から彼は「遊行期」と位置づけている。これは遊びに行く・・・そこが浄土であるか、天国であるか、はたまた地獄であるか。76歳から100歳までの「遊行期」を目前にした人間の実感はどんなものか。遊び心で生きることなのか、「遊行期」を前にして、不思議なときめきを抑えることが出来ないと結んである。今の世の中学業期に親が甘やかすから、家住期にしっかり家庭が守れない、まして家庭を持つ資格がない、また持つ気もない人たちが新聞紙上をにぎわしている。「林住期」は掛けた年金も怪しくなって、その後どう生きていったらいいか、不安の毎日が続く。一番安定するのが「遊行期」を呆けて分からなくなるのが、一番天国に行く安定した道かも。宇宙のチリになって・・・死んだら分からないのだから何処へでも良いですが・・・先に死んだ人と会えるのでしょうか。天国も地獄も魂の問題だそうです。
写真は昔数寄屋橋があったところの枝垂桜と銀座の柳です。私はここにまだ数寄屋橋があったころを覚えています。あの有名な「君の名は」の真知子と春樹が何度もすれ違ったところです。今はその面影はまったくありません。だいたい「君の名は」なんて知っているだけでも「林住期」の後半にさしかかってきました。そういえば私の一人娘も「まちこ」と言いますが、40数年前この名前を付けたとき、赤ちゃんだった彼女を見て「春樹さんを捜さなくてはね」というリアクションでした。そのくらい真知子と春樹は話題になりました。当時お風呂やさんに人がいなくなる、との話も流れていました。古い、古いお話でした。
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