週刊新潮渡辺淳一さんのエッセイ「あとの祭り」は確か昨年も桜のことを書いていらした。もう一つのエッセイ「トホホな朝、ウフフの夜」の斉藤由香さんお二人とも今回は桜のことが書いてあった。斉藤由香さんのおじいさん斉藤茂吉さんは桜がお嫌いだったらしい。私もどちらかというと世の中の人が桜、さくら、サクラと騒ぐのが理解できない。憎らしいほどびっしり咲く桜、時として不気味ではある。それと耳が悪いせいか、外での食事が嫌い、ブルー・テントを敷いて地べたに座るのも抵抗がある。なんだか物乞いしている風、まぁ、それはともかく渡辺淳一さんによると梅は本妻、梅は凛として咲いている。枝葉地味だが複雑な凸凹があり、生きてきた年輪の深さを思わせる。ただ、今は梅の様な人妻が少なくなってはいるが・・・桜は愛人、桜の咲き方には周りの人目など一切気にしない。死者の精を吸い尽くしたかのように咲きほころる愛人そのもの、だそうだ。梅と桜の根本的な違いは、梅は実をつけるが、桜は実を結ばない。ただ、最近は本妻と愛人の区別が曖昧になり、桜のような本妻と、梅のような愛人が入り混じっているのが特徴かと書いてある。さて、桃だが本妻と愛人を兼ね備えた浮気をしている妻、分かりやすく言うと不倫妻。妻で、尚且つ愛人にもなれるのだから、考えようによっては女性のエリートかもしれないと書かれてある。桃は桃源郷といわれれるほど、男心をとりこにするから桃の勝ちか。男性軍を花にたとえようと思っても思い浮かばいと、私もそう思います。
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