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ジニーのお母さん、その妹夫婦がワシントンDCとペンシルベニアから遊びに来ている。今日は朝から築地へ。青空三代でおいしいお寿司を食べた。ジニーは築地の寿司といえば大和寿司だったが、2時間並んで食べるのは辛い。その点、青空三代はご主人も奥さんも良く知っているので、あわただしく食べなくてもいい。ジニーは大変気に入ったらしい。その後夜の鳥なべの材料を買って、我が家に寄ってくれた。アメリカの大きな家に住んでいる彼女たちは東京のマンションに驚いただろうと思うが、「素敵なお部屋ね」と言ってくれた。ジニーのおかぁさんとはかれこれ40年のお付き合いだ。夜も鳥団子のお鍋(鳥と合鴨)ごぼう、三つ葉、きのこ数種、下仁田ネギ、白菜など、ポン酢で食した。おいしいものはアメリカ人で在ろうと、何人であろうとおいしいのです。その後チョコレートを溶かしたものを苺に掛けてデザート。おしゃれではあるが、カロリーが心配。
午後からシュー・ウエムラさんのエステ体験。2時間のコースだったが、始まってすぐ寝てしまったようだ。起きていなくてはと何度か思ったが、エステシャンが「終わりましたよ」と言った時、えぇぇ、もう2時間?というほど気持ちよかったです。これですぐきれいになるなんて補償はありませんが、ミッド・タウンにあるサンクチュアリー・シュー・ウエムラに行って見て下さい。広々してアロマの香り、心地よいです。その後地下のスーパーで夜のお鍋に”ほうとう”を買おうとレジに行った。ところが・・・お財布がない!それから大慌て。「もしかしてさっき築地に行った時、彼女の車の中でハンドバックを倒したのでその時かなぁ」と彼女に電話をした。やはりお財布は車の中にころがっていたそうだ。自分の不注意とはいえ、クレジットカードを止めたり、免許書の煩雑さを考えていやになっていたが、在ってほっとした。少し落ち着いて生活しなくては・・・と反省しきりでした。
黒木さんたちのお計らいで、7大最高峰、世界初「無酸素、単独」登頂チャレンジを成し遂げたソロ・アルピニスト 栗城史多さん(25歳)の帰還お祝いの会が料理の鉄人「坂井宏行さんのお店La Rochelle」で開かれた。若干25歳の青年、若い!それにイケメン、言葉使いもしっかりしていて、今の若者にありがちな違和感がまったくない。爽やか青年だ。植村直巳さん、三浦雄一郎さん、のような冒険家の心理は私には分からなかったが、思わず応援してしまう。最近テレビ出演もあり、次の夢エベレストに向けて準備をはじめているそうだ。それにしてもフランス料理La Rochelle の坂井宏行さん、特徴のある笑顔、お料理も最高のフレンチでした。マスコミに出て顔が売れすぎているシェフはお料理は今一というところが間々あるが、ここの料理は大満足。どれも心地よく、心がこもって美味しい、満点だった。決しておせいじではなく。また、坂井シェフも栗城さんの応援をしておられるようで、最後のケーキはアルプスに旗を立てて栗城さんをマジパンで作って素晴らしい演出。何だかジーンときてしまった。このような応援者がいてこそ登頂した達成感があるのでしょうね。KSG GROUP 社長高橋泉さんとも始めてお会いして、素晴らしい女性経営者、溌剌としていらっしゃる姿に感動。
この頃良く雪が降りますね。それでも蓼科の雪はさらさらしていて、雪だるまになりにくい雪ですが、東京の雪は重そうです。つくばの彩花さんは予定はきっちり守る方。どんなにお天気が悪くても決行。NYの友達とセッチャン、彩花さんと4人で始めて伺う居酒屋「函館」へ。今流行の生簀料理らしいが、私達がオーダーしたのは平凡な料理だった。NYの友達は15年ほど前に大腸がんになって2回手術をしたそうだが、今はとてもお元気。アメリカの最先端癌治療についてお話を伺った。ドラスティクな治療を望むのなら、アメリカのほうが進んでいるようです。そのNYの友達はもしこれが日本で発病したのなら、助からなかったと言っていた。私はもし、癌だと再び言われたら、静かにあの世に行かせてもらう方を選ぶと今は思っていますが・・・
40%しか国内自給率がない日本の農業政策、どうして本来夏の野菜を冬食べられるようにしてしまったのか。冬きゅうりなんて昔は食べれなかったし、夏冷やしたトマトが果物のように美味しかったこと。現代に生きる人たちには分からないでしょう。トマトも無理に、無理に極限まで我慢させてあの甘いトマトが出来るのです。先日もピーマン農家が石油の値が上がり、20度以上でないと出来ない、ビニールハウスの温度を上げるために大変な赤字になっていると。海外特に中国に食料を依存しているわが国は、目の敵に中国製品が悪いという論調だが、はたしてそうだろうか。日本人は忘れやすい国民だから、この狂ったようなマスコミの論理に同調してしまうが、本来の農業に立ち返っていくべきだと思うのです。それからこれは農業とまったく違うが、最近の女の子の名前、ニュースで出てくる(事件や事故で)今日だけでも”うらら””ほのか””かのん”ですって。この人たちが80歳になってもこの名前を呼ぶのかと思ったら恥ずかしい気がするのです。普通の名前が呼びやすく、皇室で付けられた”愛子ちゃん”なんていつまでも呼びやすいと思うが。今の若い親は子供がいつまでも子供じゃないことは範疇にないのでしょう。”かのん”ばーちゃんと呼ばれるのも悪くないか。
写真は今日久しぶりに築地のトミーナさんへ行ったら、何と我がパソコンのセンセイとばったりお会いした。新メニューが登場、私はなすのミート・ソース、先生は牡蠣のペペロンチーノ。ここのパスタは天下一品!!
1週間ほど前から左目がゴロゴロ、始めはごみが入ったか、と市販の目薬をさしていたが、どうしても治らない。蓼科にいた時から「もう病院に行かなくては治らない」と思っていた。案の定逆さまつげが1本、眼科の先生が私の目の中をパソコンで見せてくれた。「これですよ、これ」とピンセットで抜いてくれた。その眼球の周りが炎症をおこしているそうだ。しばらく抗生剤が入った目薬をさすように、とのこと。たかがまつげ1本で何となくゆうつ。前回病院に行った時から10ヶ月経っていたので、初診料、処方箋、処置料で2760円プラス薬440円。逆さまつげ一本抜くのに3200円。高いまつげでした。
先ほど聖路加のプールでいつもの友達に今日逆さまつげ一本3200円だったのよ、と話したら「何を言ってるのよ、保険で3割なんだからまつげ一本一万円強掛かるということよ」と言われてしまった。なるほど。
写真のカーペット、ジニーが好きなカーペットなので、伶子さんが使ってくれるのなら、と下さったものですが、蓼科のリビングに敷いてあったものです。私のリビングが様変わりしました。今までのは真智子の部屋へ。大好きな部屋の模様替え、新たな気分になりました。
40センチほど積雪の蓼科から帰ってきたばかりなので、東京の雪は”なぁんだ、こんなものか”と思っていた。昨日メールを開けたら、娘が八丁堀に帰ってくると知らせてきたので、松屋へ食料を買いに出かけた。この大雪なのでデパートは空いているかと思ったら、何の、何の大変な人だった。私は食料品の既製品が大嫌いなので、今騒がれている「冷凍ぎょうざ」については、自分に関係ないと思っている。さすがにこの年になったので、餃子の皮から作ることはないが、それでもあんな冷凍食品を買う神経が分からない。昔は母親が料理をするもの、夕方は「このお家は焼き魚だなぁ」とか「あ、すき焼きの匂いだ」なんて各家庭が垣間見えたが、今では何を食べているのか。それにしても変ないやな世の中になったものだ。そういえば、先ほど銀座から地下鉄に乗ろうとホームにいたら、50歳ほどの”おじさん”が歯を磨いていた。なんでもアリの時代ですが、普通の人になるのが難しい時代なのですね。何故、ホームで歯磨きなのか、誰に見られても平気な人らしい。
今日の「題名のない音楽会」”千の風になって”特集だった。ピアノ、大ヒットした秋川雅史のソロ、ギターなど同じ曲をそれぞれ特徴を出して演奏していたが、この楽曲を訳した新井満さんの詩の朗読と歌に感動。彼は電通に勤務していた時何回かお会いしたことがあったが、才能がある方なのですね。素晴らしく心に響きました。秋川さんはご自分の声に酔って歌っている感じ、余り好きではないので、この曲が新井満さんによって生まれ変わった気がしました。
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