先週マカロニ・グラタンを食べ損なったので、明日は母に食べさせてあげようと、夕方腕に寄りをかけてベシャメル・ソースを作った。玉にならないよう、丁寧に、丁寧に混ぜた。100点じゃないけど、可なり満足できたので、今夜グラタンを少し作って毒見をした。明日も食べなくてはいけないが、こうして愛情を注いでソースを作るとおいしい。たまには一つのものにのめり込んで料理をするのは、ストレス解消にはとても良いことだ。
« 2006年12 月 | メイン | 2007年2 月 »
先週マカロニ・グラタンを食べ損なったので、明日は母に食べさせてあげようと、夕方腕に寄りをかけてベシャメル・ソースを作った。玉にならないよう、丁寧に、丁寧に混ぜた。100点じゃないけど、可なり満足できたので、今夜グラタンを少し作って毒見をした。明日も食べなくてはいけないが、こうして愛情を注いでソースを作るとおいしい。たまには一つのものにのめり込んで料理をするのは、ストレス解消にはとても良いことだ。
投稿情報: 23:41 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
セッチャンのご主人が検査の為東京医大に入院しているので気になっていたが、大きな検査が済んだと聞いたので、お見舞いに伺った。入院というのは本人にとっては本当に嫌なことだと思う。心配していたが、ご本人は7時間の外出許可がでたそうで、とても嬉しそう。ご一緒にセンチュリー・ハイアットでお茶をしたが、娑婆の雰囲気は良いとお嬢さんに怒られながらタバコを吸っていた。10時には病院に帰っていなくてはいけない、つかの間の自由を私も共に過ごせて嬉しかった。その後池袋のイタリアン・レストランで長谷川直志さんと彼のお弟子さんの3人でアキチャンの料理を楽しんだ。長谷川さんたちは芸術劇場でバレエを鑑賞していらしたので、日本のバレエ界のお話など・・・楽しい会話で今日も有意義な一日だった。
投稿情報: 00:00 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
私はかれこれ7,8年左、の耳鳴りに悩まされている。大学病院、個人の名医と言われているところ7箇所くらい梯子してきたけど、最終的にはこの耳鳴りと仲良くしていくことですなぁ、て言われ治療方法はなしというのが結論だった。仲良くするために心地よい小原孝さんのピアノに出会い一生懸命いい音で自分の耳鳴りを忘れることを心がけていた。ところが最近お友達になった長谷川直志さんが昔から扁桃腺で苦しんでいたが、ホメオパシー治療でここ数年嘘のように改善されて・・といいうお話を伺い、”知りたい”とお願いして先生に会わせてくださった。元々西洋医学を学んだ先生で決して西洋医学を否定しているのではなく、「もう一つの西洋医学」と位置づけて本を書いていらっしゃる。昨日「病気をその原因から治すホメオパシー療法入門」という渡辺順二先生が書かれた本を頂いたので、今日から読んで勉強して何とか先生にこの耳鳴りから開放されるよう指導をお願いするつもりだ。
投稿情報: 11:55 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
いつものように白楽へ。築地で買い物をして行けばよかったが、寒いしその上少し寝坊したので八丁堀から直行した。お昼何を食べるか、3人で議論の結果、母がマカロニ・グラタンを食べたいと言い出した。これから作るのは時間がかかるし・・・・なんて言っていたら「ニューグランドには有るかもしれないわねぇ」「珍しく行ってみましょうよ」となり山下公園前ニューグランド・ホテルのレストランへ。こんなにポピュラーなメニューなのに「なかった」せっかく行ったのだからとホテル創立80周年の記念のメニューをいただいた。ブログに書いて良いか?正直「イマイチ」だった。それに親切でないメニュー構成で3人で”ビーフ・ストロガノフ”を頼んだ私たちも間違っていたが、ガロニ(付け合せ)にバター・ライスが付いているのを知らずに、パンORライスのチョイスにご飯を頼んだ。ホテルなのだから、ストロガノフにバターライスが付いていますよ、と言って欲しかった。私ならお客にこのような思いをさせないのだが、やはり今のホテルは気が利かない。私がうるさ過ぎるのか?ご飯、ご飯が重なる時は「言えよ」となる。母の家族は昔からニューグランドが好きで、何かあるとニューグランドで食事をしていた。数年前亡くなった叔母などは聖路加で亡くなったのに、直接田園調布の自宅に帰らず、わざわざニューグランドへ亡骸を車に乗せて回って帰ったほど好きだったのに。何だか少し淋しい思いがしたが、やはり昔の味を保つのは大変なのだろう。帰りにホテルのショップで素敵なハンドバックを見つけたので、思い切って買ってしまった。若い頃良く山下公園を”散歩”して氷川丸やマリンタワーは懐かしい景色だったのに・・・この会社が潰れたとのこと。
来週は母にどうしてもマカロニ・グラタンを作って上げなくては。ベシャメル・ソースが美味しくできると簡単なんだけど。
投稿情報: 22:58 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
何度もブログに登場する母、88歳を迎え元気でいる母を見るにつけ、太平洋戦争を戦っていた父の銃後を守り、食糧難を経験して平和になった今も長い人生を送っている。彼女はとにかく何でも良く覚えている。どうしてこう記憶力が良いのか、聞いてみたところ、彼女の答えは「前日に食べた夕飯のおかずを思い出すまで寝ないの」との答え。”ボケは神様の贈り物”というのは私の母に限ってまだない。神様からの贈り物は余程のことがないと来ないのではないか。私などその日のお昼に食べたものまで忘れているのに・・・女学生だった頃の私の友達もぜぇんぶ思い出してくれる。比較的近くにあった女学校だったので、同級生が近所に住んでいて「お宅のお母様お元気ねぇ」と言われることが多いが、今日は金曜日、母は大好きなエステに行っているだろう。土曜日に会うと確実にお肌がすべすべで娘の私が恥ずかしいくらい、おしゃれを忘れたら終わりだな。
投稿情報: 22:26 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
劇団ひとり・・・という人が俳優だということも知らなかったが、週刊文春のコラムで面白いことを書いていた。彼は相当なヘビー・スモーカーだったらしい。ところがある雑誌に独身女性が求める理想の結婚相手を調査した結果「喫煙者は嫌だ」という項目で50%以上もあったらしい。それを読んだ”ひとり”さんは間髪を入れずにタバコを投げ捨てて、踏みつけて上から唾を吐きかけてやりました、と。これは二人いれば一人はタバコが嫌いということになる。私はタバコを吸った事がないので、どうしてあんなもの止められないのかなぁ、と思ってしまうし、お酒は止められてもタバコはねぇ。。。という人が多い。彼は止めて4ヶ月になるらしいが、日本はタバコ代が安すぎるように感じる。NYのレストランでは確か一箱8ドル以上していたように記憶しているがその上ほとんどのレストラン、バー、オフィスビルの中では吸えないのでこの寒い中、ビルの前に置いてある灰皿の前にたむろして吸っている。バージニア州は確かタバコの名産地、自国で売れないので、東南アジアに輸出しているのは如何なものか。
今日プールの友達から、ちっとも会わないのでダウンしているのかと心配して電話をくださった。夜久しぶりにプールに行ったらいつもの友達が全員来ていた。新年の挨拶が遅くなったが、それにしても近所のお付き合いの醍醐味、優しさに触れた一日だった。
投稿情報: 23:46 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
まぁ、ここまで3種混合、4種混合の人物が集まっての新年会は珍しい。衆議院議員、区議会議員、区議会議員目指しの卵、イタリアンレストランのオーナー、ウイーンのオペラ歌手、バレエ振り付け師、京都の着物やさん、多少の物書きが勝手な話を我先にと(約数名)言った者勝ちという按配でものすごいことになった。新年会には話題に事欠かない人種。今年は統一地方選挙があるので、政治家の卵たちはハッスル、ハッスル。傍観者の私たちは応援はするけど、今の政治に期待していないので、厳しい。二次会は小さなスナックに行って私の”だいっきらい”と言っていたカラオケ。それでも面々が面白いと案外楽しめるのだなぁ。いつもサラリーマンのおじさんたちの歌は死んでも聴きたくないと思っていたが、今回はまぁ、役者揃いで、一年分笑ってしまった。笑う門には福来る、の諺通り笑い皺が深くなってしまったが、今日はパックをして修正しておかなくっちゃぁ。
投稿情報: 11:12 | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
昨日国立楽器で初めてのコンサートが開かれてファンの人たちから「素晴らしかった!!」とメールを頂いていたが、私は今日の静岡が小原孝コンサートとして今年初めてだったので、気持ちも新たに楽しんできた。静岡まで行ったのは、焼津の日本一の削り節やさんマルハチ(株)社長ご夫婦に「小原孝さんのコンサートが静岡であるとき、お誘いしますね」とずい分前にお約束していた。やっと念願が叶って今日のコンサートにご一緒できてとても嬉しかった。彼の会社は5代目だそうで、今の社長はお若いのに次々に新しい製品を開発して、食の文化に貢献していらっしゃる素晴らしい経営者だ。大前塾の向研会のメンバーでもあり、大変勉強熱心な方で、これからが楽しみな方。終ってから静岡駅ターミナル・ホテルの中にある焼津・たち吉という素晴らしい日本料理をご馳走になって、新幹線で帰ってきた。幸せな一日だった。
投稿情報: 00:07 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
七草粥で松があけたが、今年は家族全員東京で過ごしました。昨年末でブログをお休みしていましたが、改めて沢山の方々に読んでいただいていたのだと、その後のメールで知りました。みなさんと握手は出来なくても、お茶を飲めなくても、お食事も出来ないまどろっこしさもこのブログで繋がっていたことをあたたかいメールで知りました。トラック・バックの心無い書き込みを恐れたことも、一生懸命消していたことも、気にすることは無いよ、との励ましをたくさん頂きました。こんなつたない私のブログを毎日のように開いてくださっていた方が沢山いてくださったことを感謝しております。
さて、私のその後の情報は・・・1日は大前宅で家族全員で名古屋の料理屋から届いたおせち料理と築地で調達したものを持ち寄り、10時から日本酒を1升空ける盛り上がり。2時ごろから近くの靖国神社に初詣。大前は的矢を10本買って一本私にくれたが、縁起物なので今年一年大事飾ることに・・・
2日は昨年同様に彩花さんがつくばからはるばると言ってもTXで45分だが、銀座で一日楽しいSALEのウインドウー・ショッピング。
3日は前から観たいと思っていた「硫黄島からの手紙」を一人で観て、一人で泣いた。丁度1日に靖国神社で頂いてきた太平洋戦争で戦死した23歳の青年が書いた”遺書”を読んだばかりだったので、泣けて、泣けて・・・・
一億の人に一億の母あれど
吾が母に優れる母あらめやも
昭和19年12月7日 サイパン島にて戦死
今日7日は長谷川直志さんと日本橋七福神参拝をしてきた。人形町は結構好きな町でよく行くのだが、こうして7箇所を回ったのは始めてだった。風が強く、小さな神社を捜すのは大変だったが、この一年どうぞ神様お守りください、と1日に靖国神社と祈りを続けたので”神様”、重ね重ねどうぞよろしくお願いいたします。
投稿情報: 22:52 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
最近のコメント