1941年12月8日真珠湾から始まった第二次世界大戦、1945年(昭和20年)8月15日に終戦を迎えるまでの4年間、今、妹尾河童さん原作の「少年H]が話題になっていますが、私も終戦にあたり・・・もしかしたらその後かもしれない記憶が漠然と頭に残っています。防火用水の蓋の上でさつま揚げの配給を手伝った?ことを、そして防空壕の中の炬燵の布団まで覚えています。先週の日曜日礼拝後1時間余りあのころの銀座教会界隈を覚えていらっしゃる信者さんがお話ししてくださいました。その方たちは日曜学校の年齢で(小学生高学年か中学生)、戦火がひどくなってほとんどの人たちが学童疎開をしていたとか。教会も爆撃を受けたがその当時の三井勇牧師の手記によれば、東京大空襲で教会も爆撃に当たり、消失した部分もあったが、三井先生は危機一髪逃れられて、その後惨死、焼死した人々の死体が教会に収容されたと。8月15日、日本 無条件降伏で敗戦が決定した。生きて話して下さる方たちのお年も80代を越えていく日々だが、その後の朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、また、NYの911、そして東日本大震災など・・・幾多の混乱がこの世にもたらされたが、当時の三井牧師の手記によると、牧師ですら日本の勝利を祈ったとある、それは日本が負けることは祈れなかったし、神許し給う勝利であれば勝利にふさわしい道、日本の反省の道も備え給うと信じた日本の最大の罪は民族的エゴイズムとうぬぼれであって、日本人の一人として同じ心をもっていた。と書かれてある。今の日本を見ていると、何処へ行くの?と疑問が渦巻いています。この8月になるとマスコミは戦争を体験した人たちを捜してきているが、いつの日も、どんな時も思い出していく戦争だった。この時期になると政治家は喪服を着て靖国神社に詣でるが、何もお参りしちゃいけないのではなく、密かに国のために亡くなった英霊に頭をたれればいいのではないでしょうか?韓国や中国が嫌がることをわざわざして見せることはないと強く思います。
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