母って何て幸せな人なのだろう。もっとも若いときから長男である研一を私たちが羨むほど溺愛していました!が94歳になるまで研一の寵愛を受けて生きている。先日妹が「おねえちゃま、シモンズベットを買いたいけど、どうしたら良いの?」と連絡があったので、日比谷のシモンズベットに行って「大前です」っていいなさい。と言いました。彼女は気に入ったベットを買って銀座で落ち合って4丁目角の「かのこ」で宇治金時を食べたのが2週間ほど前でした。今日白楽に行ったら、何と母のまで届いていました。母はもうそう長く生きていないから(この言葉は10数年前から言っていますが)今のベットでいいのよ、と言い続けていました。何と研一は「たった1日だけでも新しいベットで寝て欲しいんだよ」と。94歳の母があと何日、何年生きるか、それでも彼は新しいベツトに寝せたいというその心は、お金が有るだけでは出来ないことのように感じます。果たして私たちにこんな人生は残っていないから。息子だからか、親孝行だからか。それにしても嫁さんも良い人だから。そういう旦那に文句どころか「よかったね」といってくれる。私たちの幸せは勿論母がいきていることもありますが、この心が温かいのが幸せなのです。
私は研一ほどお金は出せませんが、ちゃんと築地に行って”まもなく生筍がなくなる”のでしっかりお仕事して、鰹節を3カップほど使って出汁をとり、丁寧に筍を煮ました。母が大好きだから。年寄には珍しくマグロもトロが大好きで、今日はトロとたらこ、山口県の蒲鉾を買って行きました。それと温野菜のサラダ、ブロッコリー、シュガーピー、空豆、トマト、オクラを丁寧に茹でて、とても美味しい、体に良いと信じて。
昨日ニュースで言っていました。年寄が増えたので、年寄向きの商品の展示会が開催されたって。それはいいことですが、何も棺桶にまで入ってみることがあるでしょうか?入ってみて棺桶ののぞき窓から手を振っていましたが、誰でも、どんなに金持ちでもあの狭さの棺桶に入るのは承知の事実ですが、余りにもえぐい見世物でした。そうです、例えゴルフ場付の家に住んでいてもあの世には持って行けませんからね。もう少し品のいい人生のしまい方を考えて欲しいと思います。
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