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私ってどうでも良いことと思えない性格らしい。このところ自動車会社が宣伝に力を入れている「オート・ブレーキ」についても”頭”にきています。何故自分でブレーキ踏まないの!いつも同じ車に乗るという人ばかりではないじゃないですか。人間の力って体で覚えることが多いです。昔バレエを習っていた人が、水泳をしていた人が、ピアノを弾いていた人がそれぞれのポーズをするじゃないですか。水泳もしばらく泳いでいなくても水に入れば足も手も泳ぐ体制になります。事故をすくなくするという装置なのでしょうが、その機械が故障していたら大変なことになります。ブレーキが踏めなくなったら車の運転を止めればいいのです。オート・ブレーキなんて考えている設計者は何が何でも新しい物をつくらなくてはいけないのでしょうが、人間を退化させています。人間を退化させるものにトイレのオート・フラッシュです。まだ、まだあります。洗面所の手を差し入れると水が出て、引っ込めると止まる装置、これも退化する最たるものです。自分の汚わいを自分で流す!その手を自分で洗う、止める!!温風の乾燥なんてもってのほかです。朝ハンカチを持って出ることを習慣つけるのはおかぁさんの役目です。ペーパータオルがあると思って出てきて手を洗って”ナイ”手を振って出来るだけ水を振り切り紙ならぬ髪をに手を当てながら出て行く姿を何度も見かけています。基本に戻りましょうよ、自分でブレーキを踏む、これが出来なくなったら免許を返す、朝出かけるときはハンカチを持つ、靴を磨く・・・今朝家を出るとき靴を磨いてご主人を会社に送る人いなくなったです。私の母は昔から父の靴と研一の靴は必ず磨いて靴べらを出して送り出していました。そんな姿は今は昔なのでしょうか。エコ、エコと言いながら、自動でフラッシュも温風も何もかも電気の力です。何処か狂っています。
今日BSプレミアムで放送されていましたが、アメリカでの話「プリズン・ドッグ」という番組を再放送されていました。刑務所に入所している人たちが捨て犬を訓練してもう300頭ほど家庭にもらわれて行く、という番組でした。刑務所に入っている男の子たちも何の罪かは見逃しましたが、動物によってすごく良い心のケアーが出来て、いい顔になっていました。もらわれて行った家をビデオでみている男の子たちの清んだ目に私も涙がでてしまいました。刑務所だといってもぎりぎりと追いつめて罪をみとめさせるのではなく、動物によって心が開かれることを教えられました。
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BBTの引っ越しをいち早く見せてもらいました。大前が昨日案内してくれた新社屋は秋葉原から移ってきて、麹町から2分くらいのところです。この社屋の隣に私が前から好きでよく行った「親子丼」の店があります。夜は居酒屋風になりますが、昼間はすごく美味しい親子丼が食べられます。ここは勿論鶏肉にもこだわっていますが、卵が美味しい。婚活をしてもいいというBBTサロン、昨日はブータンの民族衣装を着た人が講演会をしていました。撮影もしていましたので、まだどういう風に使えるのかわかりませんが、楽しいところになりそうです。
文庫本を捜しに有楽町の三省堂に行ったら入り口にドーーーンと大前の本が目に入りました。企業参謀なんて何十年前の本でしょうか?彼の最初のベストセラーだったのでは?これを解説して今風に書き直したものがベスト・セラーの2位になっていました。本を出してもこう売れると面白いでしょうね。私の周りには編集者がたくさんいますが、「大前さんが自分担当の作家さんだったらいいのに・・・」と言われてしまいましたが、私も彼の本が売れるのは一重に昔からのお馴染みさんがいらっしゃるのと、最近の動向を「へぇ~~~、大前研一って工学部だったの??」という意外だというお言葉が多く聞かれます。彼は経済学部と決め込んでいる人もたくさんいます。原子力が専門ですよ、というと「意外ですねぇ」と。彼の番組といってもBBTのCS放送を見ている人は彼の原子力の話が多いので、工学部というのは分かりますが、たいていの場合的外れのことを言われます。本が売れるというのはすごく大変だと身に染みています。
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大前の孫12歳の長唄「今藤会」の発表会でした。3歳から習っている彼女は私たち親族は心配していますが、堂々たるものです。ゆかた会と銘打って夏の終わりに毎年行われる。年々難しい出し物だが、朗々とお師匠さんの三味線に合わせて謡います。「五郎」というタイトルの長唄ですが、昨今習い事というとピアノやバイオリン、バレエというのが普通ですが、彼女は熱心にこの長唄を習っています。たいてい続かないおけいこ事ですが、もう9年も習っているので驚いてしまいます。終わってから家族全員で永田町の維新號で食事をしました。研一も出先から駆け付けて11人、これだけ全員集まるのはお正月のゴールド・コースト以来でした。食事後BBTの新しい事務所を見せてあげるよ、と大前の案内でいち早くBBTのサロンや事務所、セミナールームを見学しました。素晴らし場事務所、私には便利なところで、有楽町線で4つ目の駅麹町から数分でした。
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週刊新潮の私が好きなエッセイ、最後のページに元外務省でロシア担当だった佐藤優が毎週書いているのがすごく面白い。ここまで私と同じ考えの人、はっきり言う人好きです。今週のエッセイはキラキラネームについてです。定義はないようだがキラキラネームとは奇抜な名前を指すそうです。珍名とほぼ同義語だが、「目立ちたい」という意識が突出している。佐藤優さん曰く「親がキラキラネームを子供に付けるというのは親の自己顕示欲の負担を子供が背負う」親は子供ではなく、一生その名前で呼ばれるので、余り奇抜な名前を付けられると、例えば98歳になってキラキラネームだと恥ずかしいのでは?と感じてしまう。今回のオリンピックでもアスリートの女性はまるで芸名のような人もいて、若い親なのだなぁと実感した次第。そうそう昔自分の子供に悪魔とつけたバカ親がいて、インタビューに答えて「自分の子供に何とつけようと勝手だろう」と答えていた父親がいましたが、役所ともめたようでした。目立つ名前を付けるバカ親は、どうせなら佐藤優さん曰く、ロシア風にマルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、など如何?それもロシアでは廃れて今では伝統的な名前になってイワンとかアレクサンドル、ナターシャに戻りつつあるそうです。キラキラネームは違和感ありありです、まるで金髪、青い目の子の名前みたいのがいますから。へちゃ、平坦顔したキラキラネームは笑えます。
それと、最近写真を撮るとき決まって人差し指と中指を立てて、いわゆるピースをする人が多いけど、殺人のニュースや交通事故のニュースで亡くなった写真は決まってこのピースポーズです。これも何だかバカっぽい。世の中全体がチーーープになっているようです。名前しかり、ポーズしかりです。
投稿情報: 15:24 | 個別ページ
約2週間の日本滞在を終えて明日上海へ帰国する王さん、今回は娘2人を連れての来日でしたが、元々日本で生まれた2人の娘の里帰りもありました。上の子は10歳帰国して4年余り、日本語で語りかけるとほとんど分かる。下の子は4歳の時上海に帰ってすっかり日本語は忘れてしまったようだ。せっかく両親が日本語が達者なので、とてももったいない気がしました。同時に二か国語を覚えるのは両親共に努力が必要で、王さんが余りにも日本語が達者だからまどろっこしいのかもしれない。孫がいない私ですが、何だか孫が帰ってしまう気持ちになってしまった。
ところで、今回の王さんと蓼科へ行った道すがら、彼女のルーツを聞いて、中国の歴史って遠いと思っていたが、何と王さんのお父さんは文化大革命の時、毛沢東思想に反対して、教職を追われて西安の山奥へ飛ばされたそうです。毛沢東に反旗をひるかえすと取り返しがつかないほど閑職に追いやられて、駅から徒歩で20キロの山奥の小さな学校へ赴任させられたらしい。もともと文学者で、学者の生活しか知らないお父さんがとても苦境に立たされたとのこと。王さんが大学を出たころも、学卒イコール政府の決めたところへ就職をしなくてはいけなかったらしい。改革開放政策をした今の政府の一つ前くらいから自由になってここまで繁栄したとのこと。今でもお父さんは毛沢東が嫌いらしい。こんなこと一昔前に言ったら即追放されたのが、今は昔の物語を興味を以て聞きました。私は宋家の三姉妹の物語が大好きなので、その頃の解説を王さんがしてくださいました。中国と頻繁にお付き合いしている私としては小競り合いしている島の問題早く片付けて頂きたいです。
投稿情報: 22:01 | 個別ページ
私は勿論行きません。暑いのに日焼けが恐いこともあり今日は銀座に用事があったのですが、明日にしました。テレビで観るだけで充分です。画面の左側にバカ面したタレントが映るのが嫌で本で隠して取りました。確かにオリンピックに出られる選手は4年間の死闘を展開してウエイトやトレーニング、一般人が考えられないほどの努力をしていることは認めます。ただ、私はマスコミの捉え方が嫌いだから、いくら銀座に近いとはいえパレードを観に行くまでには熱心になれません。今回金メダルだけを言うとアメリカが17個で1番、2番が中国の9個、日本はやっと7個。昔ソ連連邦や中国はメダルは「金」金以外はメダルじゃないといわれたとか。金編に同じと書いて銅を「金と同じ」という理屈をこねていたマスコミがありましたが、銅は銅です。ソ連のころは金を取ると一生良い生活をさせてもらえるということが言われていましたが、今回韓国は徴兵がまぬがれる?という話もありました。先ほど外に出てみたら、暑い、ものすごい暑さの中、何時間も炎天下で待っていたのでしょう。熱中症・・・これも昔は熱射病と言っていましたが、どうちがうのでしょうか?
投稿情報: 15:42 | 個別ページ
いまでこそ五十嵐健治といえばクリーニング会社・白洋舎の創立者として、名が知られているが、90年前、19歳の健治は無一文の旅人だった。彼の生涯を三浦綾子が「夕あり朝あり」という小説に書いている。私は成田空港で何となく飛行機の中の退屈まぎれに読もうと手にしたもの。ところが、この文庫本は私の大事な一冊になりました。1ページずつ読み終わるのがもったいなく、読み始める時必ず前のページに戻り、大事に、大事に読み終わりました。高等小学校を出ただけで、14才から小僧となり、各地を放浪して辛苦をなめ、さらに素朴な愛国心にかられて日清戦争の物資を運ぶ軍夫となり、中国にわたり、その後原始林のタコ部屋で重労働にあえぎ、そこを脱走して・・・小樽でキリスト教、中島佐一郎と巡り合い、彼から洗礼をうけ、キリスト教の信者として一生を貫いた。白洋舎を起こすまでに三越の前身に勤務して、皇居の御用を承る任につく。その後独立を模索し、やっと3坪の洗濯やを開業する。三越とバッテイングしない職業を起業しようとした彼はその後三越からは出入りの業者として可愛がられた。この本は勿論著者の三浦綾子さんがクリスチャンということもありますが、五十嵐健治の生涯をふりかえり、一番描きたかったのは、19歳の時受けたキリスト信仰のインパクトが、96歳で天に召されるまで、強烈に描かれていて、今の白洋舎を改めて顧みるのです。一流のクリーニング、技術とサービスは、宮中はもとより長年の上得意を今もひきつけている。健治は一流好みだったらしい。白洋舎の社歌は北原白秋作詞・山田耕作作曲、昭和の初め女子従業員の制服を自由学園にデザインさせたりしていたと。三浦綾子さんと五十嵐健治さんとの付き合いは10年近かった。五十嵐健治が後の人に語りきかせているような小説、何という心に響くものでした。私はこの文庫本を読んでいる時何度涙がこぼれたか、東横線で涙が止まらずハンカチをぐしょぐしょにしてしまいました。勿論教会の牧師先生のお話も素晴らしいけど、この本によって「何故祈るのか、何故礼拝に行くのか、何故人を大事にするのか」、何故、何故を語りの中で教えられることがかくも多い本に出会ったことを感謝しています。事業を起こすって、従業員を雇うことも、これを続けることも、いまだに白洋舎というとクリーニング業界の雄になる土壌を創立者の五十嵐健治さんに見出すことができて、本ってすごい影響力があるのです。時々出して読み直したい。
投稿情報: 22:20 | 個別ページ
佐藤きみひろさんにお誘いを頂いて「Free Agent Style」という会社のお披露目の会場へ招待された。来ているお客も会社側の人たちも「若い、若い、若い!!」社長の与沢翼さんと言う方もまだ29歳だそうだ。2011年10月にアフリエイト業界に参入し、たった3か月で月収3000万円を稼ぎだし、日本トップクラスに殿堂入りとのこと。企業センスはネット業界の寵児だそうです。取締役たちも若い、私が皆さんの平均年齢を上げたのでは?場違いな私も若者大好きですから、「へぇ~~~、こんな世界もあるのですねぇ」と感心しながらみていました。六本木から10分ほどのところに素敵な事務所を構えて、これからじゃんじゃん仕事をするとのこと。凄いパーティーでした。会社概要を頂戴したのですが、読んでも分からない。ないないずくしで帰ってきましたが、佐藤きみひろさんにお任せしています!よろしく。23歳の会社を起業した男性の方もいて、息子を通り越して孫の時代に入りました。おじさんたちはとてもついていけないでしょうね。私は応援者がたくさんいるのでお任せし・・・調子よくこれから生きていきます。若者が「大丈夫です!!我々が助けますから」と心強いお言葉。老いては子に従え!!という言葉があるじゃないですか。
今NHKで昔の歌謡曲を聴いていたら、昔は歌謡曲は大っ嫌いだったのに、今聴くとなんて心に響くのだろうと思わず一緒に口ずさんでしまいました。「狩人」「デューク・エイセス」「由紀さおり」「舟木一夫」長く歌手を続けている人たちの努力とあの頃のメロディーがとても心地よい。今時の歌は覚えられない、煩い、ハモっていない、めちゃくちゃ、時が経って聴くことができるのでしょうか?昔の歌手は歌は上手いですが、年をとったのは否めない。特に女性の老い方は観るに堪えないですが、自分も同じように年をとっているのですから、何度も鏡を見てしまいました。
今日は土曜日、いつもの土曜日ですと白楽へ行くのですが、昨日妹から「今軽井沢に来ているから明日は来なくていいわよ」と電話がありました。ぽっかりと空いてしまった土曜日。朝のうちは書類の整理をして・・・さて、何をしようか、舞浜の「ユーラシア」というスーパー・銭湯へ行ってきました。ここのお風呂は海水のお湯で、塩気があります。ミストサウナには塩が用意されていて、体に擦り込んで・・・韓国アカスリもしてもらいました。プロのアカスリは凄いです。すっかり一皮むけるほど生き返ってきました。母が生きているうちは横浜へ行くというスケジュール、これが崩れたときは果たして土曜日どう過ごすのでしょうか?戸惑った今日一日でした。
投稿情報: 21:26 | 個別ページ
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