雨脚が強かったが、明日取材で肌のチェックがあるからサウナで汗を流そうとお風呂屋さんに行った。案の定空いていてサウナは私一人。NHKのテレビがついていたので何気なく観ていたら、「クローズアップ現代」で舘野泉さんを特集していました。一人だからじっくり観ていましたが、私は昔舘野泉さんのピアノが大好きで、そのころは追っかけなんて言葉はなかったですが、追っかけをしていました。それは、それは素敵なピアニストでした。上野公会堂や日比谷公会堂へ通いました。今は小原孝さんのコンサートへ行っていますが、私は昔っからピアニストを追っかける癖があったのです。彼はその後フィンランド人と結婚してフィンランドに住んでいましたが、ヨーロッパで活躍しているのを報道で知りました。ところが、8年前に脳溢血で右手が不自由になられて二年ほど苦しんだそうですが、その後左手だけのピアノでリカバーしています。今日のテレビも彼の生き方に感動して、サウナの中で涙がでてしまいました。汗か涙か・・・30分一人でじっと観ていました。若いとき彼は本当にピアノの貴公子でした。姿と腕前が良いあのころとしては珍しくクラッシックなのにファンクラブがあった。信じられないくらい素敵なピアニストでした。大正7年生まれの母は私たちに音楽教育を施してくれたのだなぁ、初めてピアノのコンサートに連れて行ってもらったのは、安川加寿子さんのコンサートでした。昭和35年ごろにクラッシックのピアノのコンサートへ連れて行ってくれたのです。その安川加寿子さんはその後芸大のピアノの教授になられて、(確か安川電気の社長夫人でもあった)職業婦人として崇高な地位を築いていました。その息子さんはこれもご縁で、私が「日和」を経営していた時、安川さんの息子さんが三井物産勤務でお客様としていらしてくださっていました。安川さんは私が昔おかぁ様のピアノを聴きにいったことがあると話したことを思い出しました。舘野泉さんは芸大で安川加寿子さんにお習いしたようです。母も音楽大好き、研一が音痴だと知ると当時オルガンで彼の音を直していました。その後ピアノが入りましたが、私も妹もリタイア、ピアノは無用の長物に成り下がってしまいました。それでも聴くのは大好きになったのは安川加寿子さんや舘野泉さんによるところが大きいと感謝しています。舘野泉さんの努力は弾くという行為だけでなくピアノに対しての真摯な気持ちが伝わり両手で弾く以上に感動してしまいました。
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