1968年NYに商社員の家族として暮らしていた時、まさにベトナム戦争真っ盛りだった。近所の人が当時は義務だった兵役についてベトナムに派遣されたと噂に聞いていたが、先日来日された鈴木かつこさんのご長男もベトナムで負傷されたと伺って、身近なことだったのだ。その当時私達は5年間滞在したが、戦争に負けかけていた時ゆえか、NYの街も荒廃していた。麻薬や強盗が日常茶飯事に報道されていたが、私たちは一市民として郊外のアパートで暮らしていました。研一も当時MITに留学していた時で、それでもアメリカの力は負けるはずが”ない”とタカをくっていたように思う。日本が第二次世界大戦で負けを言わなかったように、アメリカもまたベトナムで負けるなんてありえないと感じていました。しかし・・・北ベトナム軍は南下し地上戦になり、最悪の結果に終わった。グエン・カ・オキ将軍の生活を垣間見たり、その後サイゴンという地名まで変えてしまったホー・チミンさんの偶像をいまだに掲げている共産圏になっているベトナムを観てきました。共産党が支配しているのが未だにまかり通るベトナムという国は今後の発展を期待するが、何処の共産党支配の国もその国の役人が腐敗しているようで、国民は文句も言わず働くしかない。それでも中国は凄く発展したが、ベトナムはまだまだだなぁ、と感じました。あの蟻の大群のようなバイクに3人は当たり前、4人も乗って居るのを何度も見かけましたが、ひとたび事故にでもあったらと背筋が寒くなりました。香港も今から20年ほど前はあのような姿を観ましたが、自由経済の凄さをベトナムの国家が学んだら少しは見やすくなるのでしょう。何だか痛々しい思いがしました。
戦争跡博物館を見学した時、胸が痛かった。意外にアメリカ人だけではないと思うが、白人がたくさん来ていて、この中の惨い写真の前ではみんな目を瞑り、それぞれが思うことが有ったのだなぁと感じました。アメリカが枯葉剤を撒いた結果ベトちゃんドクちゃんのような子供が生まれたとか、その恐ろしい写真が何百枚と展示されていて、インドシナ戦争における国際ジャーナリストのレポート写真がそのまま保存され、人々に戦争の空しさを訴えていました。アオザイの民族衣装はこのような公的施設では見ることができますが、街ではほとんど見られません。あの衣装は太ったら見るに堪えないものですが、スラーとしたベトナム美人が着ていると驚くほどセクシーな衣装です。それにしても日本のテレビも映りますが、日本は雪、雪、雪のニュースでしたが、ベトナムは半そでの夏服で充分な気温で28度位まで高かったし、湿度も相当なものでした。そのベトナムで堪え性のないアメリカ人が戦ったなんて想像できませんが、事実です。どこの戦争も同じですが、後で考えると無意味な戦争だったと思うものです。その前にアメリカは朝鮮戦争にも参戦し、やはり負けています。明日は実際に戦争中に堀ったクチ・トンネルを書いてみます。
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