第二次世界大戦終盤にアメリカが落とした原子爆弾、66年になるのです。勿論長崎も同じです。今日菅総理が出席して、メモリアルの式典が行われた。いつものように白楽で母と昔話、彼女はあのころのことをよく覚えています。あの時お父ちゃまを広島の呉港に送ってそのまま滞在していたら、あなた達もいなかったのよ、なんて飛躍してきます。父を送って(戦地へ)私たちは山口県の富田というところへ疎開したそうです。私はわずかに覚えています。もの凄い時代だったのよ・・・・今回の震災、津波もすごかったけど日本はどうなるかと思ったそうです。戦後66年ものすごい年月ですが、まだ私たちの心には晴れないものがあります。特に今年は一大事があったので、経済も政治も金融も混乱しています。いつになったら平安な日がおとづれるのでしょうか。
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