先日美登利さんのコンサートの時私たちの同級生6人が招待されていた。思い出話に花がさきましたが、みなさんよく人のことを覚えているのに感心してしまいました。当時授業で家庭科の実習、物がない時代でした。割り当ての材料を持ち寄るのですが私たちは寒天を持っていったそうです。勿論私は覚えていませんが、淑江さんの話によると、そうよ、その話確かに私のことです。「大前さんは道端の草を乾かしたようなもじゃもじゃしたものを持ってきたのよ、みんなは白い棒の寒天だったのに。そしたら大前さんは任せなさいとその天草をお鍋に入れてしゃかしゃか混ぜてそれを漉したのよ、その当時から手早かったわよ」と・・・我が家は父の故郷対馬からいつも乾燥天草を送ってくれていて、寒天といったら天草から作っていました。みなさんよく覚えていらっしゃる。感心しました。淑江さんはそれを面白可笑しく話してくれました。涙がでるほど笑ってしまいました。まだ制服を着た可愛いい女学生のころのお話です。
淑江さんは私が忘れていることをいくつも覚えていて、「あなたぁ、そう言えばみんなの前でトウシューズを履いて舞台でバレエも踊っていたわよ」とのこと。今でも何枚かトウシューズの写真がありますが、もう本当に忘れていました。女学校のころ、今じゃ有名になった鈴木寛一の追っかけもしていたわよね、とのこと。今でいう追っかけかもれませんが、彼のテノールはオールドミスばかりの先生の中では芸大を出たてのセンセイはそれは素敵に見えたものです。モテない男は女学校のセンセイになるのが手っ取り早いと思います。宣教師の外人も大変うるさい人で、私が制服の違反をしていたら叱られました。まぁキリスト教のがちがち規則がうるさい学校でしたから、その代り卒業したらすっかり弾けてしまいました。
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