第二次世界大戦の末期、父はここ宇品港からあかつき部隊の一員として満州へ派兵されたのだ。レクエイム・ヒロシマを聴き、翌日亡き父を思い出すために、宇品港へ行った。いま91歳の母がこの頃しきりにあの太平洋戦争の頃の広島を語ってくれる。当時4歳だった私と3歳の弟の手を引いてこの宇品港で別れたのだそうだ。勿論私は覚えていないが、レクエイムを聴いた後だけに、胸に熱いものがこみ上げてきた。もしかして未亡人になったかも知れない別れを此処で体験したのかと、いかに戦争はしてなならない事だと思った。午後の便で羽田へ。
私は今までどんなコメントも消さないで大事な意見として受け入れていた。ただ、今回から心無いコメントは消去することにしました。私は佐村河内守さんが広島でものすごく大事にされ、取材されている姿を拝見し、彼の楽曲が世界に発信され、核廃絶の声が高まることを祈る一人だけです。彼を応援しているのが分かってくださる方だけで満足です。あの天使のような「ア」の歌声を聴く事が私自身の祈りでもありました。
伶子さまこんにちは、2,3年前ここを偶然見つけ毎日見させてもらっている者です。まえに読んだ鈴木かつ子さんの本がよかったので!なんか興味があったのですぐ購入しました、涙もで、かつ先を見る目のすごさなど本当に感動しました!!本当に力作だと思いました!!!
すみませんつたない文章で、
それではこれからもがんばってください!!
投稿情報: l.m | 2009年6 月 3日 (水) 08:42
>核廃絶の声が高まることを祈る一人だ けです。
(SAPIO 2009/5/13号)
大前国防論:
”去勢国家”から脱却するために核、空母、爆撃機
そして国民皆兵を議論すべきだ
まずは弟さんと議論してみてはいかがでしょう?
投稿情報: f | 2009年6 月 4日 (木) 13:32