83歳になる母方の叔母が老衰で死に掛かっている。7歳年上の私の母が、生きているうちにもう一度会いたい、私に一緒に行って欲しいと言われ昨日重い腰を上げて見舞いに行ってきた。太平洋戦争が青春時代だった叔母・・・若いときはそれは、それは可愛かったらしい、憧れる男性を振り切って見合い結婚をし、その後不幸を絵に描いたような人生を送った人。ただ、若いとき家にいた書生(今では死語)が好きで初恋だった!!その後その人は牧師に成り、今でも生きていて、叔母を定期的に見舞っているらしい。私が「おばちゃま、・・先生叔母ちゃまの初恋の人だったの?」と耳元で声を掛けると嬉しそうに頷いていました。当時牧師になるという人との恋愛は許されなかったのでしょうか。それでも死の淵にある叔母がその人の話をすると反応するのが羨ましい。この叔母は横浜の馬車道にある指路教会で長いことオルガニストをしていたし、あの時代の人にしてはハモンド・オルガンもピアノも弾いていた。もう一度ピアノを弾きたいと言ったとか。横浜のモナリザと言われた叔母が今思うことは若かった頃だろうか。それとも亡くなった母親を思うのか。7歳も年上の私の母には、弟、妹が残っているが、普通の生活が出来るのは私の母だけになってしまった。あの時代に秘かに書生を好きなのに、他の人と見合いで結婚したのですねぇ。身分の違いなんて今では言いませんが、だから昔から小説が成り立つのです。叔母が亡くなったら、初恋の牧師さんが司式をする・・・これも小説になります。ただ、数年前にもう一人の叔母が亡くなった時、その牧師さんは叔母の葬儀におばぁちゃまとごっちゃになってしまい、厳粛な葬儀に私達は笑いを堪えるのに苦労しました。子供の頃は付き合っていた従姉妹たちとも大人になって疎遠になっていましたが、こうして叔母の見舞いで再会し、とてもステキな歳のとり方をしているのを発見し嬉しい。死の床で会いたい人・・・一人と言われたら困ってしまう、考えておきましょう。最後のご飯は卵かけご飯を食べたいと決めていますが、好きだった人となると絞りきれません。
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