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2008年10 月23日 (木)

コメント

まる子

佐村河内守さんレクイエム“ヒロシマ”最初に、この佐村河内守さんのコンサートについて市長からのメッセージがあったでしょ。これは水辺のテラスコンサートでは異例中の異例、ていうか過去なかった。
それだけこの祈りの初演が意義深いものということよね!
ヒロシマは語り継がなければならない。佐村河内守さんは「今日が、新しい世代の広島の祈りの出発点」だとおっしゃいました。被爆二世で作曲家の佐村河内守さんは、新しい世代へ御自身の音楽で原爆を語り継ごうとされています。しかも佐村河内守さんは実際にその世代に猛烈に支持されている。小学生にまで・・・すでにこの世代と心を深く通わせている証拠です。
原爆のゲの字にも興味も関心もないくせに単にヒロシマ(原爆)を食い物にする都会のアーティストと、それを冷めた目で見透かしているヒロシマの若者との関係とは天地の差ですね。
佐村河内守さんは本当に素晴らしいです。

タノスケ

わしが佐村河内守さんのファンなもんじゃけぇ、彼女に付き合ってもらってデートしよるフリしながら、距離をおきながらほぼ一日佐村河内守さんをストーカーさせてもらいました。
佐村河内守さんは殆ど複数の障害をお持ちのお子さんと過ごされておいでじゃった。G8の時もダウン症の子供と超仲良しみたいじゃったけー、これで佐村河内守さんの自伝本に書いてあったんが本当じゃったんがはっきりわかった。
御自身も物凄いハンディキャップを持たれた天才なのに、ほんまに弱者に優しいんじゃね。障害者同士痛みがわかるゆーことかね。
佐村河内守さんはほんまに心優しい天才じゃね。
REQUIEM“HIROSHIMA”も素晴らしかたたけど、佐村河内守さんの優しさのが感動した。

のら猫

大変ご無沙汰をしておりましたのら猫です。覚えておいででしょうか?
5月31日、亡き妹と共に念願のヒロシマへ守さんに会いに、そして守さんの新作REQUIEM“HIROSHIMA”を亡き妹に聴かせるために行ってまいりました。
妹の写真を胸ポケットに忍ばせ、生前の妹の守さんへの感謝をなんとか一言でも伝えたく守さんに近付いたのですがマスコミの群れとサインをねだる子供たちの群れに阻まれ、あきらめざるを得ませんでした。
結果を言うと、REQUIEM“HIROSHIMA”が終わってからも守さんは常に子供とカメラの群れに密着されており最後は諦めてしまいました。でも、言い訳みたいですが途中何度も妹の【いいのよ】という声が胸に響きました。子供好きだった妹は子供を押し退けてまで行かなくていい、というふうに感じました。諦め切れたもうひとつの理由、それはREQUIEM“HIROSHIMA”にありました。あの悲哀を帯びた壮麗で透明な子供たちの天使の歌声が響いた瞬間、全身に鳥肌が立ち「あぁ、これは妹の魂を鎮める鎮魂歌だ、守さんは妹の為にも書いていたのだ」と思いました。始まってたった10秒で私は頭をたれたまま号泣してしまいました。何と言う荘厳な美しい調べ。亡き妹もきっと嬉しさに泣いていたに違いありません。
原爆ドームが、ヒロシマが、亡き妹の魂が大きな大きな厳粛かつ荘厳な祈りに包まれて曲は終わりました。
妹の魂は完全に鎮められた、と感じました。
来て本当に良かった。
守さん、妹の為にありがとうございました。
これからは世界中の人々の魂に“小さな光”を燈して下さい。
ありがとう、守さん。
兄、のら猫

ななみ

レクイエム素晴らしかったよnote

あこ

行けなかった…羨ましぃ

AED-#703&ルクラング

佐村河内守《レクイエム・ヒロシマ》
感動、陶酔、恍惚・・・

素晴らしかったです。めちゃくちゃCDがほしくなりました。
祈り、ただひたすら祈りの意義あるイベントでした。

あいこ

素晴らしい祈りの日をありがとうございました。私も母も心から感謝しています。
子供たちの歌声・・・ほんとうに荘厳で吸い込まれそうでした。ありがとうございます。


【KIETHさん】あの日の感想をみんな待っていますよ。

お願いしますm(__)m

あいこ

KIETHさん、ごめんなさい。下にあったワw

でもまた来て欲しいよ。


もっと聞きたいです。

ビビる大田

〔〔ドーム植え込み裏で祈る人々〕〕
REQUIEM“HIROSHIMA”当日ぎりぎりで会場対岸へ滑り込む・・・が!!
物凄い数のTVカメラ・カメラ・カメラ!!!
ビビりの僕はあまり映りたくない・・・で植え込み裏手へ一旦避難・・・すると植え込みの先のほうに、物凄い数の人々・・・僕はそれとなく近づいて聞き耳を立てた。聞こえてくるのは佐村河内守の話しばかり・・で勇気を出して何故ここに集まっているのか聞いてみました。
理由は僕とおんなじ、あまりにもけたたましく群れをなしている報道陣に、みな恐れをなしたビビらーだったのです。
更に話しを聞くとかなりの人が遠方から来た佐村河内守ヲタたちでした。驚いたのはそいつらがあまりに個性的だったことです。ピクピク動いてる奴、おどおどしてる奴、片腕の無い奴、車椅子の奴・・・・・
僕が、ここで聴こえるんですか?の質問には、リハでスピーカー使ってたから全く問題無しとのこと。
そしてすぐにも各合唱団の歌声が聴こえてきました。
そしていよいよREQUIEM“HIROSHIMA”が・・・それまでがやがやしていたビビらーどもピタリと静まり返りました。何という美しい旋律だろうか、神聖で荘厳な歌声はまるで天使の祈りでした。天を仰ぐビビらー、放心状態のビビらー、肩を震わせ泣くビビらー、僕は哀しくも荘厳な歌声の中に包まれたビビらーどもの姿に涙しました。きっとこいつら一人一人が胸に闇を抱えながら佐村河内守さんの姿に、そしてレクイエムに“小さな光”をもらいに来たのに違いない!そう思うと余計泣けてきました。曲は深まり、高まり、美しい歌声は天に吸い込まれ昇天して終わりました。みんな目が真っ赤だったし、中には頭を垂れたままいつまでも肩を震わせている者もいた。
僕たちはビビらーなりの最高の祈りをし、ビビらーらしい“小さな光”の得方ができたと思う。
佐村河内守さん、いつかこのレスを見たら、こんなふうにしか佐村河内守さんと光の交換ができない奴らもいたことを覚えていて下さい。
みんな佐村河内守さんが大好きなんです。
佐村河内守さん、本当に本当にありがとうございました。
そしてお前らビビらーよ、心からありがとうな!
世界が平和でありますように。

マキ

>ビビる大田さん

その集団見ましたよ・・・何かのツアーの集団かと思っていましたが、なるほどそういうことでしたか。
妙に納得です。

多くの方たちが自分なりの祈りを捧に来られたんですね、素晴らしいことだと思います。


佐村河内守さんがどこにいらっしゃるかは一目瞭然でしたね、いつも大勢の子供たちやカメラがひしめき合っているところがそうでした。

REQUIEM“HIROSHIMA”綺麗な曲でしたねー。
歌声か聞こえた瞬間から祈りの世界へ引きずり込まれました。哀しみを帯びていて厳かで、何十万人ものヒロシマの原爆死没者の魂を鎮めるにはもうこれしかない!といったような曲でした。

CD出ないですかね・・・ほしい!!

京都情報通

2010年8月14日(土)13時開場、14時開演
京都コンサートホール(大ホール)
演奏:京都市交響楽団
指揮:秋山和慶
曲目:佐村河内 守《交響曲第一番(全曲演奏)》

レア過ぎるやろかw
まぁええかぁ(^-^)

トキヲ

京都情報通さま
マジですか?!ググったけどまだ出てないっすよね?!レア過ぎるからでしょう(^o^)
京都情報通さまは京響関係者さん???いらぬ詮索はやめましょうかw
ずいぶん遠い話しですが死んでも行きます!!!!!
これで念願の交響曲第一番が聴ける(ノ_・。)
ヤッターー!!
ありがとうございましたm(__)m

渡名喜

>京都情報通様
キ、キ、キ、キターーー(゚∀゚)ーーー!!!!!!
何があっても沖縄から駆け付ける((o(^-^)o))

しっかし開演時間はやいねー!こりゃ前乗りだな・・・・・ふむっ良し!!


ところでCD制作なんかの予定は・・・・・??????

El salvador

神情報キターー(゚∀゚)-ーーー!!!!
(((( ;゚д゚))))ガクガクブルブル・・・ほ、本当っすか!!!
京都情報通さま最良情報トンクスです_(._.)_


絶対いい席ゲトに血眼だなw

ちなみにCD化の情報なんかお持ちっすかね(__)

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