フィギアースケートの井上怜奈さんが肺がんを克服して、2006年のトリノオリンピックに出場して感動的な演技で聴衆を魅了した場面を観た。スロートリプル・アクセルと言うらしいが、パートナーから3回転して着地する。井上怜奈さんは肺がんを克服しての全米選手権やオリンピックだったそうだが、彼女はお父様を肺がんで亡くされたので、ご自分の病気には敏感になっていただろう。パートナーのジョン・ホールドウインという男性が世界大会のアイス・リンクで怜奈さんにプロポーズをするシーンはまるで映画を見ているようだった。人並みはずれて涙もろい私はポロポロ・・・・あんな素敵な場所でプロポーズされるなんて素敵過ぎる。怜奈さんからエネルギーをもらったがん患者が”励まされた””怜奈さんの気迫には拍手を送りたい。そして幸せになってほしい。あんなに素敵なパートナーにひざまずいてもらってプロポーズされるなんて・・・日本の男には到底出来ない芸当だなぁ。9年前にガンが見つかって彼女は抗がん剤を選び手術をすることを拒否し、肺活量を重要視するフィギアースケートに掛けていたが、素敵なパートナーと幸せに近づいているのだろう。ガンに負けない、そういえば私もガン患者なんだった。もうかれこれ手術をして15年ほどになる。今日の怜奈さんの画面を観ていて、涙が溢れたのは「自分にも言っている」のだ。ガンに負けない、あきらめない、って。私は良く自分ががん患者だったことを忘れる、ありがたいことに私が築地のがんセンターに入院した時はまだ旧館だったので、いま畏怖堂々とそびえているがんセンターが私のガンを忘れさせてくれているのかも知れない。あんまり偉そうなこと言えない私ですが、ガンになってからの友達は事の外大事。だってもしあの時死んでいたら会えなかった友達ですもの。小原孝さんのピアノの音も聴けなかったし、「学校に行かなかった研一」も「60歳なんて怖くない」も書くことが出来なかったし、トミーナのパスタの美味しさも知らないで、そうそう、ホテレスのミッキーとも出会う前だったんだ。ぜーーーぶ諦めなかったから今があるのです。第一このブログだってガン後ですから、パソコンを指南してくださったヤマダセンセイにも感謝、感謝。私の歴史はガン前とガン後に分かれます。ガンBCとガンACと名づけましょう。
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