瀬戸内寂聴さんと鎌田實さんが対談をしていた。小説家と医者だが、生と死について久しぶりに含蓄のある話だった。鎌田先生は茅野中央病院院長として我が家ではずいぶん前から存じ上げていた。昨年の夏も茅野中央病院でのコンサートでお会いして、何て人間味のあるお医者さまなんだろうと思っていた。小原孝さんの師匠である畑中先生とも交流があり、昨夏のコンサートではナレーターをなさったり、患者さんの良き相談相手にもなっている姿を拝見したばかりだった。チェルノブイリの事故の時も、医者として奉仕されたようだ。助けられなかった患者の家族からも感謝される言葉を聞くと胸が痛いが、「雪とパイナップル」という童話の作家でもそのことを書いたと言っておられた。鎌田先生のお話の中で夫婦とも癌で茅野のおそばやさんだった方が、茅野中央病院の食堂をダンス・ホールにして彼らがラ・クンパルシターを踊ったそうだ。終わっても抱きしめて「ありがとうね」と・・・ちょっと優しい支えがあると死んでいく時も幸せなんじゃないかと。瀬戸内寂聴さんはこんなに忙しいと静かになるには死ぬしかないと大笑いしていた。寂聴極楽ツアーにみんなで行こう。85歳になると一緒に飲みたい人、会いたい人、愛した人はみんなあっちに行っている。good bye と thank you を言ったら死にたい。「定命」誰にでも決められた命があるのをこういう言葉で表すそうだ。愛する人に死なれるとこは、自分が死ぬことより辛い。自分が死ぬことは分からないから。それを「無常」というらしい。やまない雨はない、必ず晴れる。寂聴さんは今源氏物語を現代訳を書き終えたそうだが、源氏物語が書かれて1,000年の今年、愛するということ源氏が36歳のときハーレムになっていく姿は、興味がある。エロスが枯れたときが終わりの時、色気は生命力だって。彼女は51歳で出家したが、お酒も飲むし肉も食べる、人も好きになる、この気持ちは楽しいと。鎌田先生は昔でいう捨て子だったそうで、育ての親のお話をされていたが、あんなに穏やかな素晴らしい先生になられて、平和のこと、戦争のことなど数限りなく奉仕の精神で、中東やチェルノブイリにも訪ねて慰問をされている先生です。大前も蓼科でバイクで転倒して大怪我をし、茅野中央病院に約1年お世話になって、その頃から鎌田先生のお話を聞いていたので、すーーと胸に心に入ってきた。お二人共 good bye はもう少し先にしてください。そしていいお話をもっともっと聞かせてください。
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