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昨日探し当てられなかった「音無の湯」、どうやって152号線に入れるか分ったので行ってきた。ここも武田信玄ゆかりの地らしい。武田信玄って私みたいに温泉が好きだったんだ。渓流音無川沿いに原生林に囲まれた少しぬるめの温泉だった。この152号線をもう少し進むと白樺湖に出られる。露天の景色は絶景だが、水風呂がないので、そう長く入れないのが難。日帰り入浴700円。茅野駅にも20分位で、ここもあずさ?号で帰京する途中に寄れる。明日から聖路加の仲間がみえるので、茅野のイオンに買い物に行ったが、まるでアメリカのスーパー・マーケットを彷彿とさせるほど大きくて品揃えも充実。それでも野菜は農家直営の物を買っている。
日本中暑い、暑いのニュース、午後ぼーーとテレビを観ていたら、臨時ニュースが入り何事かと思ったら「74年ぶりに気温が40.8度を記録した」と出た。さすがの蓼科も昼間は暑かった、ただ、湿度が低いのでいくらか楽かも。先ほどから八ヶ岳の方向から雨雲が垂れ込めて、雷も鳴っているが、まだ降ってはいない。4時ごろから探求温泉ドライブしていたら、ほとんど地元の人しか知らない農道を走っていたら、何と大前の元同僚若松さんと車で出合ってしまった。彼はマッキンゼーを引退してからここ蓼科で木工椅子の製作をしている、蓼科在住の方。やはりこの農道を走るのは観光客ではいないだろう。若松さんに聞いて「石遊の湯」”いしやす”と読む温泉を教えて頂いた。この温泉は軍事用の鉄鉱石を掘り出していた諏訪鉄山跡地から湧き出した温泉らしい。温泉博士?の私が感じるのだから間違いないと思うが、お湯の柔らかさは抜群。ただ、脱衣所が公衆浴場そのもので、何となく銭湯の感が否めない。500円は値ごろかなぁ。あずさ?号で帰る途中に立ち寄るには手ごろな温泉、お勧め。
3日間、お客さまで何となくブログを書く時間がなかった、いや、なかったのではなく出かけてばかりいた。東京は観測以来の猛暑らしいが、ここ蓼科も昼間は暑い。夕方になると一気に気温が下がり、夕方ベランダで夕食を食べて心地よい温度だが、食事が終る頃は寒い、寒いと部屋に入ってデザートになってしまった。私お気に入りの”ノース・ポイント”にセッチャンのご主人もジョインしてログハウスで夕食。14日は車二台で茅野インターから松本へ。松本市美術館で日本近代画家の「絶筆」展を観に行った。未完の絵もあり、亡くなってからアトリエで見つかった絵や死を覚悟して力の限り書いたもの、病が進んで若いときとは想像もつかない力が無いものもあり、人生を考えさせられた。小倉遊亀さんの椿の絵は100歳を超えた時のものらしいが、すばらしかった。夜中にセッチャン夫妻は渋滞を気にしながら帰京されたが無事到着の電話あり。昨日(15日)は海老沼さんも最後の日になり、メルヘン街道を麦草峠へ、その先に昔娘や甥が小さかった頃良くハイキングに行った「白駒池」へ。あの当時とは格段に道が整備されていたが、それでも原生林を20分ほど登ると神秘的な「白駒池」が現れる。お盆の最中ということもあり、家族連れがいたが、それでも静かな湖でボートを借りて乗り出した。彩花さんと二人静かなひと時を楽しんだ。ランチはブライトンで”親子丼”先日ここのランチスペシャルを頂いたが、5800円の値打ちなし、と結論をだしていたのでパス。トヨタが2年程前に開業している”テラス蓼科”という保養所の温泉が素晴らしいので彩花さん最後のイベント、ここの温泉は本来社員優先だが、空いているとOK.お盆の最中なのでもしかしたら断られるかもと思いながら行ったが、どうぞ、ということで3時間半、思いっきり温泉三昧。山荘に帰ってから、東京から冷凍にして持ってきた”ハヤシライス”とサラダ、枝豆で最後の晩餐、彩花さんは一眠りして、筑波へ帰った。15日は諏訪の花火があったので、茅野のインターが混んでいたが、4時間で帰り着いたと先ほど電話がありほっとした。何だかここ数日友達が来ていて、賑やかだったが、また一人の生活に・・・トホホ・・・
写真は山荘のベランダで鉄パン焼き、真ん中はノースポイントの前とお料理(ハンバーグ、スペャリブ、自家製ソーセージ、ステーキ等)下の左は手作りジェラードの店、次の二枚は白駒池のボートから
いつものお仲間、築地のセッチャンが朝5時起床して大渋滞の中央高速を運転して午後2時到着。7時間の運転、涼しい蓼科にようやく到着してほっと一息。夕方から毎回蓼科に来ると必ず一度はお訪ねする「八ヶ岳倶楽部」に出掛けた。ここは俳優柳生博さんのお住まい件ギャラリー、今NHKの園芸でご活躍のご子息柳生真吾さんがちょうどお店にいらして楽しい語らい。このギャラリーは一味違う品揃え、毎度欲しい物があって、狭い我が家に”買いたい””何処に置くの?”の戦いが始まる。昨日見つけた音符の額、欲しいのだが・・・来週聖路加の友達が来るのでもう一度決心し直そう。おしゃれなフルーツティー で一休みして帰ってきた。ベランダで夕食をと考えていたが、夜は寒く部屋でお鍋、ワインを楽しんだ。
音楽界の重鎮、畑中良輔先生プロデュースで諏訪中央病院1階ラウンジでコンサートが行われた。畑中先生の奥様は小原孝さんのピアノの先生でよーーく、先生宅でお稽古をしたとHPに書いてある。畑中先生をご紹介頂いたので、その折小原孝さんのファンだと申し上げたら、畑中先生は「小原君はいい生徒だよ、来年は連れて来よう」なんてリップ・サービスをしてくださった。畑中先生はとても気さくで、素晴らしい司会ぶり、ユーモアたっぷりで心から楽しい音楽会だった。畑中先生は85歳だそうだが、お若い、ちょっと聖路加の日野原先生を思い出す雰囲気の方。このコンサートは先生も勿論ボランティア、素晴らしい出演者も楽しそうに演奏していらして、病院の名医者鎌田實先生主導のこの演奏会も今年で17回を数えるそうだ。来年のお約束があり、感動した。茅野から諏訪へ。諏訪の銘酒「真澄」のお宅、宮坂家にお招きを頂き、奥様の素晴らしい手作りのお料理に感動。先代のご夫妻と6人久しぶりにお目にかかり、お夕食を頂き、私が本日の運転手を務めるので、彩花さんにはたっぷり「みやさか酒」を楽しんで頂いた。国道20号から真っ暗なビーナスラインを夜10時過ぎに走るのはさすがに緊張した。
久しく一人で蓼科生活していたが、今日陶芸家の彩花さんが、もう一人大前の生徒さんだった人と3人になり、白樺湖の花火見物とすずらんの湯を楽しんだ。ランチはブライトン・ホテルで・・・・このホテルは以前会員制だったが、今は誰でも行かれる気楽なレストランになった。それにしてもここは涼しい。朝かっこうの声で目が覚める。彩花さんが「あなたが涼しいという言葉が良く理解出来なかった」けどこういうことなのねぇ。本当に涼しいわ、とご満悦。今日は諏訪中央病院で小原孝さんの先生である畑中先生のプロデュースでホスピタル・コンサートがありこれから山降り、茅野までドライブ。
甥の娘リオンと一日過ごした。何だか情が湧いてしまった。孫もいない私だが、一日中過ごすと、トンボとり、乗馬、温泉、寝かしつけるまで何だか気になってしまう。孫を可愛がってしまう気持ちが分るような気がする。夕食はこの頃ははまっているノース・ポイントに大前一家を紹介した。彼らも温かいお店ですっかり気に入ってくれて嬉しい。めずらしく赤ワインを飲んで楽しい夕食だった。
7日間一人で過ごした蓼科、今日やっと軽井沢から大家さんの大前一家が来た。明日、彼らは年に一度のメディカル・チェック、私が彼の孫リオンのお守りをすることになっている。今日半日リオンのお付き合いでトンボとりや蛙を捕まえて、まるで男の子のようだ。娘を育てる時、かつて一度も虫取りをしたことがないので、私はトンボを取っても触れない。彼女は30分くらいで15匹ほど捕まえていたが、私にとっては苦手なお守りだった。明日は一日どうなるか、ただ、彼女も温泉が大好きで、7歳というのはかくもしっかりしているのだと感心しきりだった。夕食は久しぶりに賑やかなディナーになって、ビールなど楽しんだ。
今日も行ってしまいました、ノース・ポイントのハンバーグに。明日から大前一家がここ蓼科に来るので、何か美味しいものを作ってあげようかなぁ、と麓のスーパーまで買い物に行ってきました。北村大将ご自慢の自家製ローストビーフを塊りで買ってきた。ほぼ一週間一人で過ごしてきたが、やっと料理をしたいなぁと言う気分。ポトフとローストビーフのオードブル、ポテトサラダと一つだけつりあわないお煮しめ(蓮根、里芋、高野豆腐、いんげん)を一つずつ別に炊き合わせた。これは研一が好きなので、こうして研一を待つと、大昔ボストンからニューヨークまで私の料理を4時間運転して食べにきてくれたことを思い出してしまう。茅野の街は暑かったが、東京はもっともっと暑いのだろうなぁ。
メルヘン街道、国道299号をしばらく登って行くと麦草峠になる。もう少し行くと白駒池があるが、一人でハイキングでもないので、ビーナス・ラインに戻って再び白樺湖にあるすずらんの湯を捜した。先日この温泉を目指していたのに、間違って池の平ホテルの駐車場に入ってしまって、1000円も払わされたので、今日はなんとしても”すずらんの湯”へ。温泉フェチの私が感じたのだが、今日のお湯が一番柔らかく、アルカリ成分がたくさんある感触。お肌がすべすべして気持ちよい。露天風呂から白樺湖が眺められてその上700円とお安く、駐車場の料金もナシ。お得感があり満足。
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