昭和の風景を求めて「ちい散歩」をみていたら、デパートの食堂の始まりが映し出された。昭和5年から日本橋三越は大食堂があって、ここは日本料理、洋食、うなぎ、そばなど今のお好み食堂の原点があったそうだ。三越の食堂に勤めていた女性が語っていたことが私の心に響いた。「家族でいらしているお客さまでお子様ランチをオーダーされると、どんなことがあっても一番先にお出しします」子供が嬉しそうな顔をする両親を見るのが楽しかったとか。なんて素敵なサービスなんだろう。今では朝ごはんも食べさせずに学校に行かせる親が多いと聞くが、爪のあかでも煎じたらいい。お子様ランチを喜ぶ期間はほんの少しなんだし、喜んで食べる姿を見られるのもわずか。あっという間にそんな可愛い姿は見られなくなるのです。私の親は私たち3人の子供を愛しく育ててくれたが、夏休みが終わる最後の週にみんなで伊勢佐木町の有燐堂で文房具の調達をし、その後”博雅”で中華そばを食べて不二家で私と弟はソフト・クリーム、妹だけパフェ、がコースだった。今思うと当時車があったわけではなく、六角橋から市電で馬車道まで行ったのだが、今思うと母の愛情だったのですね。今のおかぁさんにお願いしたいのは、せめてお子様ランチを食べて喜ぶ子供をしっかり見ていて上げてください。こうして私はあの母の姿を今でも思い出していますよ。夏休みに別荘だの海外旅行なんて夢の又夢でしたから。
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