今回の週刊朝日の橋下徹さんの記事、ひどいを通りこして悍ましい、品がない、ここまでやるか!という怒りがわいてきます。彼の出自を暴いて・・・まるで既成政党がこぞって書かせたとしか思えない品のなさです。見開きを使って謝罪したと一見落着しかにみえますが、週刊誌の品のなさはいかんともしがたい感あり。私も15年ほど前に週刊文春にやられたことがあります。その時の記事は今でも鮮明に覚えていますが、記事の内容はこういうものでした。
航空会社数社のフライト・アテンダント5,6人の座談会で飛行機に乗る客のお行儀の悪さを言い募っている、顔も隠して、匿名の記事です。”世界的なコンサルタントO氏の姉はエコノミーのチケットで乗ってきてファースト・クラスにねじ込んだ”というものでした。勿論これが私だとはまったく感じませんでした。この記事を読んだ時は大前が世界的なコンサルタントだとうぬぼれてもいませんでしたし、読み飛ばししていました。数週間後NYの東京レストランの古平さんから「れいこさん、書かれちゃったね」と国際電話が掛かってきました。私はびっくりして急遽数週間前の週刊文春を取り寄せて読んでみたら、前記の記事が載っていました。勿論世界的な・・・とエコノミーチケットでファーストにしろと言った覚えもないし、ましてやその時NYへ行くのにファースト・クラスなんて乗ったことなかったので、まさか私の事だとは考えてもいませんが、数人に読んでもらったらやはり意図的に「あなたのことよ」となりました。私は週刊文春の編集長を呼び出して今回の記事のバックグランドを明かして欲しいと迫りました。どうしても言えないと言ったのでその話をするとき東急ホテルのカフェでしたが、私は大泣きしたのです。教えてくれるまで泣き続けました。編集長も意を決して「謝ります、お願いですから泣かないください」周りの人たちがジロジロみていましたが、ここで引き下がれません。その結果スッチーたちの座談会でいろんな話が出てきて、O氏の姉と書いた方が面白いということになった(編集の段階で)。その時もし、私の話が出たのなら私がクレームをつけたのは当時ユナイテットの成田からNY行の便で私は何ページものクレームを書いて名刺と共に降りるときに渡したことがありました。それは娘が足の骨を折ってNYの病院で手術をして、アメリカ人並の麻酔をしたらしく一晩麻酔が覚めない、もしかしたらこのまま植物人間になるかも知れないのですぐ来てほしい、と病院から電話があって駆け付けるときでした。機内持ち込みの荷物が多かったのですが、降りてからターンテーブルの荷物を待つ事も出来ないだろうと、お願いしたのにどうしてもダメだと言ったことを私は書面でクレームしたときのスッチーが話を面白くするために、他の人の話、エコノミーのチケットを持ってきてファーストにねじ込んだ人とくっつけたのです。その時私はユナイテットのスッチーの名前を書きとめていたので、彼女に手紙を書いて、「あなたは文春の座談会にでましたね」と確かめました。突き止めてから文春の当時花形だった週刊文春元編集長の花田さんにお願いしました。週刊誌が謝るということはまず稀ですが、と言っていましたが、文春のレター・ヘッドで謝罪文がきました。ここまで追跡してやっと謝るというのが週刊誌です。だから、文春も新潮もすごくたくさんの訴訟を抱えています。彼らは売れて何ぼですからね。今でもその謝罪文は持っていますが、その時次の文春で謝罪文を載せると言っていましたが、その時すでに1か月過ぎていましたので、寝た子を起こすことになるので、私宛に編集長からの謝罪文で勘弁してあげました。エネルギーが消耗しましたが、橋下さんはさぞ心が砕けたことでしょう。お子様も多いと聞いていますが、これにくじけないで頑張って欲しい。
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