母方の従妹と昨夜実家で久しぶりに会いました。彼女は叔母が亡くなるまで本当に一生懸命介護していて、彼女の姿に何度も涙したものですが、早いもので叔母が亡くなってもう3年ほど過ぎてしまいました。葬儀の時以来でしたが、叔母の話が尽きませんでした。その叔母は私の近著「私らしい人生のしまい方」にも書きましたが、教会のオルガンの名手で、叔母のオルガンに惹かれて、教会に来た人、信者になった人が何人もいたらしい。戦後パイプ・オルガンが弾ける人は大阪に1人東京に1人、その東京で弾けた人が叔母だったそうです。私が女学生のころ、捜真の音楽の先生が「あなたはよしこ叔母さまに良く似ていらっしゃるわ」と言われましたが、どうして叔母はフェリスだったのに知っているのだろうと思ったことがありましたが、その頃叔母はパイプ・オルガンの名手だったので、横浜では有名だったらしい。生きている時もっと聴いておくのだったと残念に思いました。それにしても懐かしい叔母二人の話、生きている母の姉妹はわが母だけになってしまいました。女の一生はだれでも本一冊は書けるほどの人生なのですね。母たちの時代は第二次世界大戦で夫を戦地に送り出し、子供と銃後の守りを経験し、食糧事情も最悪の時、敗戦を迎えて頑張ってきた時代です。今の時代に生きる私たちはどれだけ幸せなのか、もう一度感謝したいと思いました。
明日から沖縄、石垣島へ行くことになりました。帰ってきたらきれいな海の写真を公開します。
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