アサヒビールのスーパー・ドライの生みの親、樋口広太郎さんが86歳で逝去された。研一は親しかったとBBTで話していたが、私も凄い思い出があります。NHKホールのオペラのチケットが私に回ってきて、おしゃれして行きました。何と樋口さんの隣の席でした。本来大前に進呈されたチケットが彼の出張で行かれなくなって、私に代わりに行ってくれというものでした。樋口さんは勿論大前が来ていると思っていたでしょうに。私も居心地が悪く、大前が急に出張で来られなくなったので・・・と申し上げたら、あの豪放磊落な笑いで「楽しんでください」と言ってくださいました。それ以降なるべくビールはスーパー・ドライを飲むようにしていました。ブラインドテストをしてもキリンとアサヒは差がないとのデーターですが、私が店を経営している時、三菱系はキリン、住友系はアサヒ、丸紅系はサッポロと気を使っていました。日本人は何処までも会社に忠実です。アメリカ人は好きなものは好きと割り切っています。ましてや仕事が終わって飲むビールまで冠むりのついたものは無視するでしょうね。樋口さんってこまやかな方だったそうで、吾妻橋の本社ビルから隅田川の花火がきれいに見えるが、花火は音も楽しまなくてはと、社員のために窓が開くようにしたという話が伝わっています。
明日から上海に行ってきます。いつものようにパソコンは持って行きません、帰国してから上海のNEWSをお送りします。
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