いまでこそ五十嵐健治といえばクリーニング会社・白洋舎の創立者として、名が知られているが、90年前、19歳の健治は無一文の旅人だった。彼の生涯を三浦綾子が「夕あり朝あり」という小説に書いている。私は成田空港で何となく飛行機の中の退屈まぎれに読もうと手にしたもの。ところが、この文庫本は私の大事な一冊になりました。1ページずつ読み終わるのがもったいなく、読み始める時必ず前のページに戻り、大事に、大事に読み終わりました。高等小学校を出ただけで、14才から小僧となり、各地を放浪して辛苦をなめ、さらに素朴な愛国心にかられて日清戦争の物資を運ぶ軍夫となり、中国にわたり、その後原始林のタコ部屋で重労働にあえぎ、そこを脱走して・・・小樽でキリスト教、中島佐一郎と巡り合い、彼から洗礼をうけ、キリスト教の信者として一生を貫いた。白洋舎を起こすまでに三越の前身に勤務して、皇居の御用を承る任につく。その後独立を模索し、やっと3坪の洗濯やを開業する。三越とバッテイングしない職業を起業しようとした彼はその後三越からは出入りの業者として可愛がられた。この本は勿論著者の三浦綾子さんがクリスチャンということもありますが、五十嵐健治の生涯をふりかえり、一番描きたかったのは、19歳の時受けたキリスト信仰のインパクトが、96歳で天に召されるまで、強烈に描かれていて、今の白洋舎を改めて顧みるのです。一流のクリーニング、技術とサービスは、宮中はもとより長年の上得意を今もひきつけている。健治は一流好みだったらしい。白洋舎の社歌は北原白秋作詞・山田耕作作曲、昭和の初め女子従業員の制服を自由学園にデザインさせたりしていたと。三浦綾子さんと五十嵐健治さんとの付き合いは10年近かった。五十嵐健治が後の人に語りきかせているような小説、何という心に響くものでした。私はこの文庫本を読んでいる時何度涙がこぼれたか、東横線で涙が止まらずハンカチをぐしょぐしょにしてしまいました。勿論教会の牧師先生のお話も素晴らしいけど、この本によって「何故祈るのか、何故礼拝に行くのか、何故人を大事にするのか」、何故、何故を語りの中で教えられることがかくも多い本に出会ったことを感謝しています。事業を起こすって、従業員を雇うことも、これを続けることも、いまだに白洋舎というとクリーニング業界の雄になる土壌を創立者の五十嵐健治さんに見出すことができて、本ってすごい影響力があるのです。時々出して読み直したい。
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