昭和29年4月9日明るい春の日差しを受けて栗田谷の丘に建つ捜真女学校の中学部に入学してから早56年、卒業して50年のホーム・カミングが盛大に行われた。卒業生150人中今日出席は80人!!この記録は今までにないことらしい。そうです、人生いろいろ、病気もし、苦しいこともたくさんあったそれぞれの生きざまは一言では言えない「女の一生」だ。まだこれからの人生があるが、今まで以上の年月生きることなど人間にはできないのだから。その証拠に私たち同級生でもう天に召された人は10人を数える。今日祈りの中でそのことに触れたとき、私は忘れようにも忘れられない友の死を思い出し、泣けて、泣けて。こうしてホーム・カミングに参加できる幸せを感じ、感謝に堪えない。今から15年ほど前に高井宏子さんが同級生として一番身近だった彼女が肝臓がんで亡くなって、その折得も言えない悲しみを思い出したのだ。彼女は七宝画家で私がNYに住んでいる頃、マンハッタンの五番街にあったJALギャラリーで展覧会を開催した。その折もどれだけ彼女を同級生として誇りにおもったことか。今日彼女がいないことが寂しかった。ここ捜真は礼拝に始まり讃美歌、祈り、、また讃美歌と骨の髄まで礼拝を重んじる学校だったが、50年ぶりに会った80人の方たちもほとんど暗譜で数曲の讃美歌を賛美する姿に中、高一環教育の素晴らしさを感じた一日でした。
詩篇23篇に
主は我が牧者なり、われ乏しきあらじ
主は我を緑の野にふさせ
いこいの汀にともないともう 主は我が魂を活かし
御名のゆえをもて我を正しき道にみちびきたもう
たとえわれ死のかげの谷をあゆむとも
わざわいをおそれじ
なんじ我と共にいませばなり
なんじのしもと、なんじの杖、我をなぐさむ
汝、わが仇のまえに、わがために宴をもうけ
わが頭に油をそそぎたもう
わが酒杯はあふるるなり
わが世にあらんかぎりは かならず恵みと
憐れみと我にそいきたらん
われはとこしえに主の宮に住まん
上の写真は捜真のランドマーク藤棚です。少し盛りを過ぎたが、満開の藤の花を見上げて女学生時代に思いをはせました。
明日からNYー東京陶芸コンテストの特集をいたします。
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