いつもの土曜日、朝8時に家を出て白楽へ。築地の長崎県連で鯵の生きが良いのが有ったので、アジフライをするつもりで買って行った。ところが、昨日アジフライが食べたくて作ったばかりだとがっかりすること言われてしまった。半分をたたきにして青じそを混ぜた。残りは淡路島の藻塩を薄くふって塩焼きに。これが美味しいのなんの。ところで、母が3時から2時間ゴスペルの練習に行くと言っていた。「あなたたちはお風呂屋さんに行くでしょう?」そのゴスペルという言葉を忘れるらしい。「ねぇ、この頃讃美歌を体を揺らしながら、ジャズみたいに歌うのよ」「おかぁちゃま、それをゴスペルと言うのよ」という会話。「へぇ・・・何だか神様に悪いみたい、私は普通の讃美歌が良いのに」なんて会話が続く。母のコーラス暦70年、彼女は横浜女性合唱団の創設当時からソプラノを歌っていた。指揮者の山根和夫は”母が娘時代からのボーイ・フレンド”だったらしい。神奈川県立音楽堂などでコンサートを毎年行っていた。NHKにも出演したが、私が車で送っていったことを思い出す。ところが、それから長い長い人生、母も90歳になり、周りの人たちが死んでいったり、足腰がまま成らなくなり、今では数人になってしまったらしい。3人になってしまったら「スリーグレイシスじゃない?」とか2人になったら「ザ・ピーナッツ」でもいいじゃない、なんて私達娘にからかわれているが、彼女は音符が読めるので歌うことは楽しいのでしょう。私の母方の祖母はあの頃の人には珍しくクリスチャンで、3人の娘にはオルガンが弾けるように教育したそうだ。叔母たちもみんな教会のオルガニストを勤めていた。物心ついたころから足踏みのストップがたくさん付いたオルガンが我が家にありました。
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