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財団法人日米地域間交流推進協会の役員会が新丸ビルで行われた。私はNY東京陶芸コンテストで大変お世話になっている団体なので、評議員を仰せつかっている。元駐米大使大河原良雄さま、同じく斉藤邦彦大使の方々が理事になっておられて、今日はご出席されたがさすがに貫禄があり、お品がよかった。新丸ビルに初めて足を踏み入れたが、丸ビルより重厚な感じがした。それにしても自転車で丸の内を駆け抜けて行ったが、こんなに背の高いビルばかりで、地震がきたらどうするのだろう。建物が壊れるというよりガラスが恐い。
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五木寛之さんの最新作「林住期」について語っている番組を観た。彼は50歳で京都の大学に行ったり、青春の門を完結させたいと”いきいき”と語っていた。75歳からを「遊行期」と呼んで、彼はもうまもなくこの年齢に達するそうだ。彼の本の表紙は奥様が描いていらっさるそうだが、彼女も医者だったが、好きな絵に。人生の途上で倒れる、完結しないのが人生だと、風に吹かれて生きていくと。とても崇高なお考えでした。五木寛之さんは白楽の丘に住んでいるとずい分前から言われているが、一度会ってみたいなぁ。毎週白楽に行くが、彼の住んでいるのは私の実家の駅の反対側、岸恵子さんのお宅の近くです。白楽って碌な店がないのですが、知事公舎があったりして住宅街としては静かな良い場所なのですよ。昔は洋画で有名な「白鳥座」があり、その映画館の坂を上がると高級住宅街になっている。その白鳥座も今は「静岡銀行」になっており、放火で有名になったマーケットが続いている。マーケットの終わり近くに「紅座」という映画館がありここは邦画専門だったので、ほとんど行ったことがなかった。白鳥座は学生時代ほとんどの洋画をここで観ていた。映画雑誌「スクリーン」なんて暗記するほと読んでいたなぁ。私の好きな映画は「カラマゾフの兄妹」「居酒屋」「鉄道員」「ひまわり」などです。ドイツ人女優マリア・シェルが大好きで彼女にファンレターなんて出したことがあったが、彼女からエアーメールでブロマイドが送られてきたときは、嬉しくてもっと英語を勉強しようと誓ったのに・・・
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NYの友達が築地を見ないで帰るなんて、と言うことで朝早く待ち合わせをしてツアーをした。私は毎日のように行っているが、NYの人には珍しいところだ。男性でも買いたいものばかりだそうだ。彼は蕗の水煮を買っていたが、料理方法は大丈夫かなぁ。いつ行っても場内の大和寿司は長い列で並ぶ気がないので私はいつもパスしていたが、今日は9時ということもあり、数人待てば入れる状態だった。親方の前で久しぶりに大和寿司を頂いたが、さすがに美味しかった。しかし、客は日本人が少なく、親方の英語も堂々としていて、中々すばらしい。隣は香港からその隣はシンガポール?彼らは一人前しか取らずに二人で食べている。これは店側としては困るだろう。二人席を取って一人前というのは小さな店にとっては致命的だが、文句を言うのもめんどくさいかも、英語で言わなくちゃだから。
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左のゴムの木、ブログを始めたころ一度登場した。我が家に買われて一度も芽を出したことがなかったので、頭にきて部屋からベランダに格下げしていた。それでも一枚も芽が出ない、それだからと言って枯れもしない。1ヶ月前に芽を切って、鉢も植え替えてみた。何と数週間でご覧のように3箇所から芽がでてきた。どうも前の植木鉢が嫌いだったようだ。もう少しで捨ててしまうところだったので、妙に愛しい。朝メールを開けたら、NYの裕子・グルソンさんが来月早々に来日のお知らせ。彼女の今回出版された”グルソン・ファミリー”はとても評判が良い。昨日母も妹も面白かった、と言っていた。彼女を知っているから尚更ねぇ、と。彼女を想うといつも思い出すことがある。彼女は40年以上、私は10年以上NYに住んだことがあるのに一度も”あの有名な”タイムズ・スクエァ”のカウントダウンに行ったことがないという話になり、数年前に一大決心をして行く事になった。大晦日といえばNYは極寒の季節、長時間寒風にさらされて12時になるまで身動きできない大混雑を耐えなくてはならない。朝から水分を取るのを控えて、4時ごろ出陣。エスキモーもびっくりの出で立ちで、待ち合わせのところに行った。まだ4時なのにどの通りも規制線が張ってあって、横入りができない。私はチビだから、ポリスに「兄妹とはぐれた」と言って可なり優位なところからズルをして入ってしまった。一歩でもその場所を離れるとそのスポットを奪われるという格闘技まがいの一大イベント。トイレなんてみんなどうしているのだろう。考えただけでも行きたくなっちゃうので考えない。周りにポリスが沢山いたけど、みんなハイになっているので、マリファナを吸っている人を見ても、見て見ぬふりをしていた。このときばかりは大目にみているのだろうか。そうして苦労して念願のカウントダウンを体験した時は、胸がジーンとしてして涙が止まらなかった。テレビでみるのと同じだなぁ、なんてバカな感想をいだいたりしたが、抱き合ったり、キスしたりしているのはちゃぁんと相手が決まっているんだ。画面では誰にでもしているようだけど違いました。カウントダウンが終わって三々五々散らばるのだが、みんな興奮していたが、若者はアパートなどで、新年の集まりがあるそうだ。私と坪田さんは24時間営業しているデリで温かいチキン・スープを飲んで体を温めた。
夜、セッチャンがいつも懇意にしている西麻布の中華料理に行きませんか?とお誘い頂いた。おかぁさんとセッチャンご夫妻4人で楽しい夕飯をご馳走になった。一人での夕飯を覚悟しているので、事のほか嬉しい、多謝。
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今年の夏は蓼科別荘番を仰せつかったので、水曜日から行って準備をしてきた。長いこと閉めているとまず水道の水が鉄色している。窓を開け放って空気をいれ変えた。閉めている間に虫が死んでいてカサカサになっている。あんなにしっかり閉めているのに何処から入るのかなぁ。ジニーと食事に出掛けたが、まだ別荘族が来ていないと見えて、何処のレストランも営業していなかった。蓼科で10数年前にイングリッシシュガーデンBARAKURAがオープンして、来週からバラ祭りが始まるらしく準備していたが、この庭は中々素晴らしい。入場料1,200円は少々高いかとも思うが・・・ 翌日は佐久を経由して軽井沢に行って一晩泊まって、新幹線で帰ってきた。ちょうど一時間だが、蓼科は中央線あずさ号で2時間半掛かるから、やはり軽井沢の方が便利か。ただ、寒いくらいだった蓼科に比べて軽井沢は湿気ていてそう快適な気温ではなかった。夏を快適に過ごすには蓼科に軍杯か。
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先週来いらしていた80歳の鈴木かつ子さんが今日NYに帰国されたが、今日からNYのジャーナリストが4年ぶりに来日された。NYに住んでいたのはもう10数年前なのにいまだにこうして訪ねてくださる。友達って本当にいいものだ。そのジャーナリストはほとんど毎日37丁目レキシントンAVE.東京レストランに入り浸っているので、特にお知らせしなくても、東レスに行ったら会える。今日銀座三越のライオン前で待ち合わせしたが、彼とはNYで昼間会ったことないので妙に新鮮だわと大笑いになった。ランチにイタリアンレストランで私が好きだった「タント・タント」に久しぶりに行ったら5月で閉店したそうだ。結構お客は入っていたのにどうしたのだろう。好きなレストランだったので残念。
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日本のリチャード・ギァ田村正和の”ラストラブ”本当にこれでラストにして頂きたい。実年齢63歳だそうだが、もうラブストーリーは無理。リチャード・ギァはまだ様になるのだが、それもサックスホンなんておっかしくって。はたして日本の男性で今回の役が似合う人がいるのだろうか?確かに20年ほど前の「ニューヨーク恋物語1と2」は田村正和がぴったりだった。私はあの物語が大好きでビデオまで買ってしまったが、今度のは映画にするには無理、無理、テレビ・ドラマ止まりかなぁ。物語は悲恋なのにあちこちで笑える。だいたいあんなに体が衰弱しているのにNYまでエコノミー席で行かれるものなのか、13時間ですよ。外地で死んだらそれこそ大変。遺体で運んだらファースト・クラス料金の3倍だそうだし、あんなに具合悪そうな人は基本的にフライト拒否されるだろうし・・・物語に無理がある。まぁ、マンハッタンの観光映画として観るにはイイかも。知っているレストランやホテル、コロンバス・サークルのCNNビル、ライブハウス・バードランドやコットン・クラブなど。もう一つ面白かったのは彼と彼女が初めて出会う場面は横浜の住宅街のごみ捨て場。男やもめでいい加減なごみ出しをしている所を役所の監視員が彼女だったと言う設定。そう、横浜はごみ出しが極端に”うるさい”。私も白楽で台所をする時、妹にうるさく言われて、ごみごときでめがねを掛けなくては分別できない有様。何故?メガネ、そうプラスッチックの状態で数種類に分別するのですよ。我がマンションは大雑把なので、私が捨てたごみを妹がチエックして、やり直し、ウルサイ。そのゴミだしで彼らは知り合う。田村正和扮するサックス奏者”阿川明”は末期がんで最後の演奏をNYのライブハウス・バード・ランドで行うのだが、その後セントラル・パークを散策しているオータム・イン・ニューヨークはそれは美しい。ただ、彼がガンの薬をバーボンで流し込むのは良くないよぉ。田村正和だから”かっこいい”のかなぁ。ニューヨーク恋物語の撮影の時(もう20年近く前)マディソン・アベニュー57丁目にあった「キルテッド・ジラフ」という高級レストランでまだ50代だった彼と隣あわせになったことがあり、余りにも気取っているので「疲れないのかなぁ」と心配してしまったことがあった。あの頃の年齢が今日の物語だったらちょうど良いのに。
BONDの卒業生井生さんと彼の友達3人でホテル・西洋銀座でブレックファースト・ミーティング。相変わらず丁寧な朝食で満足。今年の暮れから来年の新年にゴールド・コーストにいらっしゃるそうだが、私たち家族もいるので、ぜひカウント・ダウンの花火をご一緒になんて・・・鬼が笑う話で締めくくった。
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我らが師と仰ぐオータ・パブリケーションのミッキーこと村上実さんのセミナー「リッツ・カールトンにみるサービス」を拝聴した。軽妙な語りであっという間に1時間が過ぎてしまった。もう少し聴きたいなぁ、と言う感じ。これが講演のコツなのでしょうね。その後懇親会が行われ、ホスピタリティ協会の会長元外務大臣の柿沢弘治さんがご挨拶されたが、いつも思うのだが国会議員は挨拶が上手。数時間前にリビアから帰国されたそうだが、お元気そうだった。もう、現役を退いていらっしゃるが、柿沢さんが都知事選に出られたときは大前と三越前と秋葉原駅前で立会いをしたことを覚えていて下さって、丁寧にお礼を言われてしまった。その後ミッキーとセッチャンご夫妻とホテル・西洋銀座の会員制バーG1で心行くまで楽しいおしゃべり。ミッキーもさすがにお疲れのご様子だったが、気を使ってくださり、周りを決して不快にしない話術、ご自分でもマジシャンだと言っておられるが、本当に魔法の時間だった。
昨日の会場で佐賀県物産展が開催されていて、海苔の試食会、素晴らしい卓上海苔焼き器をお土産に頂いた。「明日実家の母のところに行くのですよ」と申し上げたら、「おかぁさまに・・・と」その海苔焼き器と海苔をたくさん頂いた。今日のメニューは対馬産鯵の干物と美味しい海苔、ジャガイモの千切りとわかめのお味噌汁で体に優しいメニューでした。
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元々NYの鈴木かつ子さんは18年前に彩花さんとお知りあいだった。筑波のギャラリーをお訪ねすることをお約束していたので、今日やっと実現した。秋葉原TX(つくばエックスプレス)駅で待ち合わせしたが、さすが現役ビジネスレディーの鈴木さんは時間通り現れた。80歳の方ですよ。ちゃんと電車を乗りついで、お元気でした。彩花さんの新築のご自宅とギャラリーを楽しそうにご覧になった。このお宅は私にとっても自慢の一つ。何故かと言うと、このお宅の設計者はアルス・デザインの作品だし、私がご紹介したから。お昼は筑波産の野菜がメインのランチを楽しんで、その後NYの取材特に911のころのお話を録音させてもらった。夕方TXで帰京したが、さすがお疲れだったようで、眠っていらしたが、「ちょうどいい休息になったわ」と秋葉原のJR駅までお送りした。月曜日から4日間みっちり取材をしたが、私も少し疲れたが、彼女とはNYでの再会と本の完成をお約束してお別れした。
投稿情報: 21:23 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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