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写真は女性宇宙飛行士の元夫山崎大地さんとおもちゃ博物館の北原さん。
白楽に行った時、上海の王さんの友達が劇団四季でお仕事していて、今月はミュージカル「李香蘭」だと話したら、母が珍しく「行ってみたいわ」と。早速チケットを準備していただき、その上四季の敷地内に駐車も可能にして頂いたので、とても楽に行けました。この李香蘭という方は中国人ではなく本名山口淑子。第二次世界大戦の歴史のもと、数奇な人生を送っている方です。女優、歌手、確か彫刻家のイサム・ノグチの奥さんでもあったし、参議院議員もされていたような・・・そこまで描かれていませんが、彼女の中国での裁判を丁寧に描いていました。ミュージカルなのにすっかり涙が・・・妹はいち早く泣いていたような。彼女はお金を出して涙を出すのはイヤという人ですが、今日のミュージカルは「凄くよかったわ、だけど重い話ね」と。当たり前じゃないですか、戦時中と終戦の時を描いているのですから。終わってから3人で帝国ホテルのカフェで食事。後はワード・プレスにて。
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人の事は言えませんが最近のオバマ大統領の御髪、凄い白髪になってしまいました。心労があるのですね。大統領夫人だった時のヒラリー・クリントンさんも素晴らしく綺麗な人だったのに、政府の要職について4年、昔の面影はなくなってしまいました。自分の写真を公表してオバマさんやヒラリーさんが年をとったというのははばかられますが、勿論私も東京オリンピックまで生存しているかわかりません。年齢を意識していると言ったらウソになりますが、先日お会いしたHP作成会社の方は23歳ですって。孫がいたらちょうどそんな年齢です。今は二極化しているから出来る人はドキドキするほど仕事を正面から捉えていて、キラキラしています。大前が心配していましたが(番組で)果たして東京オリンピックのプロデューサーにマッチする人が出てくるのでしょうか、と。ロンドンも北京も素晴らしかったから。(後に北京の女子は口パクだと報道されたが)ベッカムがテームズ河をトーチを持ってボートでなんて・・・日本だったらイチロウさんに帰ってきてもらって、隅田川でしょうか?7年後だったら今ときめいていてもおじさん、おばさんになっているでしょうから。意識しないようにしていますが、なにぶんにも7年後というのが恐れの対象です。
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さして期待していなかったオリンピック招致もいざ決まってしまうと嬉しいものです。2020年7月24日まで2511日だそうです。今日サウナで「オリンピック決まったけど私は生きていないかも」と口を滑らしたら、「何言ってるのよぉ、開会式に行ってきたわよ、なんて言うあなたが想像できるわよ」と言われてしまった。しかし・・・今日のインタビューで感動したのは猪瀬知事が「今日家内の四十九日なのです」と胸に隠していた亡き百合子夫人の写真を見せてくれた時は思わず涙が・・・4月にNYでお会いした奥様はもういないのですから。猪瀬知事は悲しむ間もなくオリンピックに没頭しただろうと察します。誰の言葉より胸に応えました。私のカメラにNYでのショットが入っていましたので。
それにしても前回のオリンピックは49年前だったのですね。私はまだ丸紅のOLでした。会社の人と代々木の体育館に観に行きました。それがバスケットだったのか?バレー・ボールだったのか、球技がまったくわからない私には猫に小判だったのです。参加することに意義がある、何て言いながら頂いたチケットで行った覚えがあります。新幹線が出来、高速道路も突貫工事で作ってしまって・・・・あの日本橋の上に高速道路を無様に作ってしまったのもオリンピックがあったから。中央区、港区、千代田区、江東区はオリンピック景気に沸くと思います。ただ、オリンピックが終わったら夢の跡(後)にならないようにお願いしますよ。中央区の区長も今7期ですが、いくらなんでもそれまで区長でいるわけにはいかないでしょうが、私にとっては矢田さんが区長の方が有り難いかな。こう考えるのはまだ生きていると想像しているからですね。
そういえば今朝の教会で敬老祝福礼拝でした。週報もいつもより字が大きくて・・・銀座教会は70歳で「杖」のプレゼントを頂けます。私は申告をしていないので、無事通過できるかと思っていたら何と名前を呼ばれてしまいました。杖を使わないで生きていますが、心の杖は欲しいです。母が生きている内はこのメンバーに入るのを遠慮していたのですが・・・・トホホ・・・状態です。オリンピックが開催されるまで生きていられるか微妙な気がしますが、私がもし生きていたら、人生2回もオリンピックを自国で体験できるのです。
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母たちは長いこと軽井沢に逗留していたので、本当に久しぶりの感じ。朝早く築地で手巻き寿司の材料を買って行きました。今日はお手軽手巻き寿司かなぁ。母がたくさん食べないので、彼女の好きな物だけです。手巻き寿司のコツは本物のわさびと海苔にあります。ハマグリの潮汁と共に。耳が遠いらしく妹の大声に疲れるのですが、何度も同じことをいわせるのよ、と。今年の11月で95歳になりますからね。歳を取るって悲しいことよと母は言いますが、自分でどうすることも出来ないなんて言われると明日は我が身ですから。病院に行って薬(何の薬だかわかりませんが)すごくたくさん飲んでいるのです。それを忘れるとまた妹に叱られるしと愚痴っていました。夕飯が終わった時研一から電話で”おふくろさんと話したい”と。私たち姉妹は現実をみますが、彼は忙しいこともあり、優しい言葉をかける電話で、私たち女どもより母は嬉しいのです。割に会わないですが、息子は可愛い、娘たちは煩い。どこの家も同じでしょうね。それでもこうして母が生きているのが私たちの幸せなのかなぁ。8階の下鳥さんにいつも言われています。「そういいながらでも生きているってどれだけ幸せか、亡くなって初めてわかるのよ」と。今日も新しいドレスを見せたら、「素敵ね、下鳥さん本当に丁寧なお仕事で素晴らしいわ」と何度も縫い方を見ていました。雑誌のミセスを見ながら「もう秋物ね、まだ暑苦しいけど」と。この雑誌が「装苑」と言っていた頃からの愛読書です。母は下鳥さんの先輩文化服装学園出身で、あのころの人にしてはモダン・ガールだったのです。年は等しく重ねるものですから。
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「鳩居堂の日本のしきたり、豆知識」という本が銀座三越地下から日比谷線に繋がる階段の途中に広告が出ていました。足を止めて・・・・時間があるとき買おうと思いながらいつも前を通っているのに忘れていました。創業350年の老舗、日本の変わらぬ心、常識を見直そうと買ってきました。日本一高い地面に上品に文房具を売っているこの店はいつも香の香りがする。明治13年京都から東京に都が移った時東京店が開業した。宮中に御用を収めるためだったそうだ。私は喪の時不祝儀の封筒は必ずここで買います。お願いすると無料で筆で名前を書いてくれます。書きなれた、こなれた字です。この本は読み出したら切がない、へぇ~~~という常識、非常識が一目瞭然。こういう本が家に一冊あるというのも良いものです。お見舞い、中元、歳暮、礼状、弔辞、香典、叙勲(絶対にもらえないけど)七五三、香を炊くじゃなくて香を聞くというらしい。婚家へのみやげ(これも用がない)しかし面白い。
投稿情報: 21:45 | 個別ページ
夜中に大雨になって、街の中を踊り明かすことはなかったが、2日目も雨。私たちは「八尾おわら資料館」へ。その後富山の名品和紙文庫、井田川のほとりにあるこの美術館は”これが紙でできているの?”とおもうほど見事な作品を観ることが出来ました。楮の皮を煮てほぐし、その繊維を漉いて和紙を作る。紙の歴史は奈良時代から始められ、平安朝時代の文学は紙が無かったら源氏物語など、伝えられないのでは?
お昼は西田さんお勧めの蕎麦屋で鴨せいろを食しました。今回の二つ目のイベント「西田美術館」にいざなってくださって、西田さんのお父様が収集された貴重な絵画を見せて頂きました。
「立山の 雪を仰ぎて 声放つ 此の清きもの 地上にあり」 剣岳を中央にして、左右に連なる清き峰々を詠んだ与謝野鉄幹の歌。その連峰を一望する地に西田美術館があります。先代の社長(西田さんのお父様)が収集した作品の素晴らしさ。シルク・ロード、イコン、前田常作の仏画、ガランボシュの世界と素晴らしいという言葉が空しくなるほどの作品が展示されている。本物の剣岳も素晴らしいが絵の剣岳も数々あり甲乙つけがたい素晴らしい作品を堪能いたしました。
3時過ぎのフライトで東京に帰りましたが、機種は話題になったボーイング787-8で、(娘は787は絶対に乗らないと言い切っている)エンジン音も静かだし、最初はいろいろトラブルがあるのは仕方がないが、機内は快適でした。富山はフライト時間45分だから、離陸したと思ったら15分ほどですぐに下降を始めます。富山湾を旋回しながら着陸する姿は立山連峰を正面に見て、不思議な景色が堪能できます。
投稿情報: 21:28 | 個別ページ
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